第218号 継続に意味はあるか。

 「継続は力なり」という言葉があります。継続することで学ぶ事もたくさんありますが、ただ続けているだけでは技術の進歩はなく、上達に繋がらなければ、あまり多くの事は学べません。したがって、単に継続することそのものに対しては、休まず続けて努力をしたという価値はあると思いますが、その努力が上達に繋がらないのは、やはり残念です。

 物事を継続する中で常に色々と創意工夫し、たくさんの失敗を重ねながら続けることに意味があります。しかし、ある程度上達したからといって、慢心して稽古を怠ると、やはり加齢と共に技術力は低下します。正しいやり方、つまり年齢や体力合った色々なやり方で継続していくことが大切です。

 また、技術の習得と同時に、知識や素養も必要です。体を動かして技術を習得すると同時に、昔の事を研究したり、他の人たちと交流をして意見交換などをしたり、そして技術のみならず、考え方や人としての在り方などを考える機会を持つことです。なぜなら、技術が上達した人は、必然的に指導者としての立場になるからです。

 指導者は必ず「人としての精神的な成熟」を要求されます。ですから、指導者の立場になっても、技術と同時に人としての素養、言い換えれば人間性を磨くために、更に努力し続けなければならないのです。自分が得てきたものを後進に教え伝える中で、自らが継続することの本当の価値を生かすことが出来るのはないでしょうか。

第217号 遠回りの意味

 野球選手としだけではなく、スポーツ選手として超一流のイチロー選手の、昔のインタビューから書き起こした彼の言葉を抜粋して紹介します。

「全くミスなしでは(高いレベルには)たどりつけないけれど、たとえたどりついたとしても、深みは出ない。」
「やっぱり遠回りすることって、すごく大事。だから、無駄な事って結局無駄じゃないっていう考え方はすごく大事。」
「今やってることは決して無駄だと思ってやっているわけじゃないけれど、後から思うと無駄だったって思う事はすごく大事な事だと思う。
「合理的な考え方ってすごく嫌いで、遠回りすることが一番の近道だと信じてやっている。」

 色々な経験と並外れた努力を重ねてきた人の言葉は説得力があります。無駄な事が無駄じゃないのは、それが無駄だという事に気付いたから、という事ですね。つまりはやってみなければわからない、失敗してみなければわからない事もたくさんあるということです。失敗を恐れず、失敗を糧にして、何度も立ち上がって前に進める人にこそ、道は開けるのではないでしょうか。そう、遠回りには必ず意味があるのです。

第216 受け入れる事

「最近は若い人たちに益々打たれるようになってしまいました。自分の弱さ、相手の良い打突を受け入れるつもりで稽古が出来ればと思います」と言う話を先生にしたところ「打たれることを怖がらない、打たれに出る事です。打たれてもいいという割り切りが、思い切りのある打ちに繋がると信じています。」というお言葉を頂きました。
 
 人間、誰でも失敗したくありません。失敗を恐れずに前に進む事は容易ではありません。しかし勇気を出して失敗することを怖がらずに物事にチャレンジしていく気持ちを鍛えて行けば、やがて、失敗することすら考えられないくらい、集中して何かを行う事や、自分の理想を成し遂げたいという熱意に、自然に体が動かされるようになる事が増えていくはずです。
 
 そして、無我夢中な熱意を超えたところに、自然体で全てを受け止め、包み込んで、その上で物事を動かしていくような、そんな境地があるのではないかという気がしてきた今日この頃です。

第215 花一輪

「花戦さ」(Flower and sword) と言う映画を見ました。映画の中で野村萬斎演ずる華道の家元である池坊の初代宗家、池坊専好が茶人の千利休に「一輪にて数輪に及ぶならば数少なきは心深し」と言う意味のセリフを言うシーンがありました。劇中ではこのシーンが茶室の一輪の朝顔を美しく見せる為に、庭の朝顔を全部摘みとったという、有名な利休の朝顔のエピソードに繋がってゆくのですが、これは今でも池坊流の教えになっているそうです。

芸術とは全てそういったものだと思います。多くの彩にあふれた華やかなものは素晴らしい。常にシンプルばかりではつまらない。様々な彩のあるものは、心を楽しく豊かに、気分を盛り上げてくれます。しかし、単なるミニマリズムではなく、全ての空間の価値をそこに凝縮した、たった一つの存在。それこそが、人の心を打つ何百本もの花に勝る一本の花の意味だと思います。

そして、剣道でもそれは、同じだと思います。鮮やかで多彩な美しさも、凛とした清楚な美しさも、全てが花の魅力であるのと同じように、多彩な動きや技の素晴らしさも、静寂を破るような、人の心を打つ会心の一本の美しさも、同じように全てが剣道の魅力であると思います。

本当に人の心を打つ一本、打ってみたいですね。

第214号「すりすり、すり足」

 日本古来の多くの武道は、すり足という歩み方が基本です。すり足といっても、ずるずると足を引きずって歩く事ではありません。要するに、歩くときに踵を高く上げて大股で歩かない歩き方という事です。

 剣道の技も基本的にはすり足ですが、実は基本的な動作が出来るようになると、今度は後足で蹴って踏み込むときに大きな踏み込む音が出るくらい、相手の間合いに飛び込んで打つように指導されます。しかし、高く上げた足を踏み下ろして大きい音を出すことが目的ではありません。反動で右足が強く着地したときに大きな音が出るくらい、勢いよく飛び込むようにという事です。

 移動のスピードを上げる事は、競技的にはアドバンテージとなりますので、すり足で力強く左足で床を蹴って、右足で踏み込む動作を行う技術の習得は不可欠です。しかし、昔の先生方は、それでもバタバタと脚を上げる剣道をするなとおっしゃったそうです。実際に、あるご高名な先生が、お年を召されてあまり目が見えなくなっていたはずなのに、弟子の試合を遠くから見ていて「なんだ、あいつはまだ足を上げて剣道をしているのか」と、その足さばきの音を聞いておっしゃったそうですが、その試合は全日本選手権だったそうですから、一流の選手でも、やはり先生にとっては弟子の足の使い方が気になったのでしょう。

 江戸時代に隆盛を極めた一刀流中西道場や、そこから独立した千葉周作が作った北辰一刀流玄武館では、炒った豆を床一面に撒いて、その上で木刀で形の稽古を行ったそうです。足を上げて進めば硬い豆を踏んで激痛が走りますから、自然にすり足が身につくという事だったそうです。

 なぜ。そこまですり足にこだわるか、それは体のバランスを常に崩さない様に動く為です。すり足剣術は板張りの道場でしかできないので意味がないと言う昔の流派の方いらっしゃったそうですが、甲冑を着て泥道を進む事を前提としている古い流派でも、重心をいかに安定させるかという所が体の運用のポイントです。

 日本人の体形はもともと重心が低いので、大股で足を上げて歩くより、すり足のように、すっと足を出して小股で歩く方が、重心を安定させながら移動することのできる、自然な動きなのかもしれませんね。