第146号 「スパルタと自主性」

 先日、日本のテレビ番組を観ていましたが
その中で「スパルタと自主性」という特集をしていました。
二つの有名な高校のラグビー部を比較し、
この二校が決勝で対決するのですが、
一方は監督が厳しい練習を課し、大声で叱咤激励する
いわゆる「スパルタ式」に見える指導方針。
かたや、生徒の自主性に任せ、自分たちで目標を
設定してトレーニングをさせるという指導方針なのです。

 後者の監督もかつては大声で生徒を叱責しながらの
練習でしたが、いろいろ思うところあって指導方針が変わり
現在はそのようになったとのことでした。

 試合前の監督のアドバイスもやはり顕著に違って、片や
「俺たちは絶対勝つぞ、オー!」という感じの気合の入れ方、
もう一方は「こんな大舞台で試合できるのは楽しいな。最後まで楽しめ」
という感じでした。

 まあ、試合は毎年両者が決勝で当たり、後者が何年も僅差で勝っている
ということなので、試合の結果で「だからこっちのやり方が・・・」と
なってしまいがちですが、試合の結果はさておき、
双方ともすばらしい監督だと思いました。
まあ番組の特集も長い時間ではなかったし、ちょっと表面的でしたが
どちらかを否定するような作りではなかったので
内容的には良かったと思います。

 この二つの指導法は違うものとして比較される事が
良くあるんですけど、実は表裏一体で、やはりバランスが
難しい所だと思います。自主性に任せるというのは、やはり目標があって、
そこに向かう意思があって、初めて成せるものであると思います。
(もちろん、そこに向かってモチベーションをあげるのも
指導者の役目なんですが。)

 スパルタ式の語源は、古代ギリシャのスパルタという国家での
子供に対する軍人教育で、弱い子供をふるい落として
強く鍛え上げる為に体罰を与えて厳しい訓練をおこなったところに
由来するという説があります。

 もちろん、単なる体罰は問題外ですが、大概の場合、
武道では厳しい稽古はつき物です。これは「戦い」なのですから。
もちろん、好きで強くなりたい人は、厳しい稽古も乗り切れるのですが
逆に厳しい稽古を乗り切らなければ、やはり強くはなりません。

 ただし、ここでいう厳しい稽古というのは、ただ単に
無茶苦茶に体に負担をかけて「精神を鍛える」と言ったような
単純なことではありません。

 仲間や先生方、そして自分自身に必死で挑戦して、敗れて、
自分で考えて、それができる様に、また何度も練習して、
というのが本当の厳しい練習だと思います。

 自分で考えて自分のペースで色々行うことができるという事は
本当に大切だと思いますが、まずはそれを実践できる力がなければ
ただ楽しいだけで上達は難しいですし、また反対もしかりです。
その辺を踏まえてどう指導していくかと言うところが、
まさに指導者の良し悪しを分けるところだと思いますが。

 では、自主的にやるのなら指導者は要らないのでしょうか。

 剣道のように「概念」の部分も重要なウェイトを占めている
場合は指導者がいなければ、やはり独りよがりなものに
なってしまうこともありますので気をつけなければなりません。
また、精神的なものも重んじますので、単に楽しくというより
平常心で行うところが大きいのではないでしょうか。

 何が言いたいのかというと、つまるところ、
どちらも必要な練習方法であることには変わりありません。
ただ、それをうまく効果的に使い分けることができるのが
上手な指導者であり、そして一番大切なの事は
どんな指導法でも、結局は指導者と学習者の間に
信頼関係があってこそ、厳しく指導しても学習者は
ついて行きますし、言わなくても積極的な自主性を
高めてくれるのではないでしょうか。

Comments

No title

熊本飛燕隊の塩釜と申します。ブログにて、そちら様のURLを掲載予定です。

No title

ありがとうございます。お返事遅くなって申し訳ございません。宜しくお願いします。

No title

申し訳ありませんが、名前を削除していただけますか。
お手数ですが、宜しくお願い致します。
塩ちゃんとかに訂正していただけると幸いです。

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