第210号「孤独なタコ」

 タコは生物レベルで見ると、実は人間と変わらないくらいスペックが高いそうです。それどころか、体が恐ろしく柔軟で、視界もすごくて、色も形も自由に変えられて、吸盤は匂いもわかるし、しかも足に神経細胞が多くあり、それぞれの足が全く別の行動をすることができるそうです。ビンの蓋を内側から回して空ける無脊椎動物はタコしかいません。

 しかし、未だにタコはタコでしかありません。なぜか。タコは寿命が3から5年と短く、その生涯を他のタコとあまりコミュニケーションすることなく過ごすといいます。なお、意思表示のコミュニケ―ションをすることが最近の研究ではわかりかけていますが、個体同士が他の情報を交換したり、共に行動したりする事はありません。つまり、情報の蓄積と経験値がとても少ないということです。もしタコが長寿でもっと複雑な情報交換をする手段をもっていたら、人間を凌駕する存在になったかもしれないと考える人たちもいるくらいです。コミュニケーションはそれくらい大切なのです。
 
 コミュニケーションは剣道においても大切です。一人で技を磨く事はもちろん大切です。しかし、色々な人と心の通った稽古をし、竹刀のコミュニケーションの中で、先生方から教えて頂くことで、自分の剣道が上達していくものです。

 勝手にずかずかと間合いに入って行って、勝手にひっぱたくような剣道は、やはりコミュニケーションが足りない。どんなにポテンシャルは高くても、それ以上進化しない孤独なタコのような剣道であると言えるのではないでしょうか。

第209号「剛と柔」

 「剛」と「柔」は対照的な言葉ですが、剣道ではこの双方を併せ持つ必要があります。これは技だけではなく心も同じです。

 「柔」の心とは、何事にもとらわれない柔軟な心。この柔らかい心を以て事を為す。その境地を我々は目指していますが、もしかしたら、これこそが、いわゆる「無心」なのかもしれないと思い始めています。

 無心というと何も考えないという事だと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、寝ている時以外に、何も考えないということはあり得ません。無心になろうとした時に、既に「無心になろう」と考えているからです。

 私はこれまで、何も聞こえないくらい集中することが無心ではないかと考えていました。しかし、実は何事にも囚われない心が「無心」なのではないかと、今では思うようになりました。変な例えかもしれませんが、何かを行っている時に、ふと微かに春風が吹いたら、それを感じないくらい物事に集中するのが無心ではなく、何があっても動じずに物事を行いながらも「ああ、春風が気持ちいいなあ」と自然に受けとめ感じる心、この強く柔らかく自由な心が無心なのかもしれません。

 一方、「剛」というと、普通は「硬い」という意味だと考えますが、「硬い」ではなく「強い」と理解した方がいいかもしれません。荒々しい態度ではなくても、気迫を持って正面から押し切るという心の強さは、時には大変重要な事だと思います。

 技の上での柔らかさとは、熟練度であると思います。体や武器を柔らかく使うことで、力に頼らない技術を習得する事は、武道の修練においては大変高度な事です。その一方、技には「冴え」も必要であり、一瞬にして一撃で相手を倒すための、瞬間的な強さやスピードも求められます。そして、何よりもここと言う時に、恐れる事無く、迷いなく、正面から真っ直ぐ思い切って打ち込むことが出来る事。これこそが剣道、そして武道の「剛」であると考えます。

 心も技も、柔の中に剛があり、剛の中に柔がある。これこそが理想なのですが、やっぱり一朝一夕にできるような事ではありませんね。...素振りしようっと。