第200号 「重ねるごとに」

 北辰一刀流宗家、千葉周作は、鎌倉時代の豪族の末裔ながらも農村の馬医者という田舎のしがない家柄でしたが、江戸に出て竹刀一本でその身を立て、その実力から天下の名人と呼ばれるようになって、江戸で最大の門人の数を誇る玄武館という大道場を経営するという大出世をしました。水戸藩剣術指南役としても召し抱えられ、弟子の中からは多くの有名な偉人も出て(山岡鉄舟、坂本龍馬、清川八郎など)、流派の名前と共に、その名を歴史に残しました。津本陽氏の小説「千葉周作」の中で、その千葉周作が老いていく思いを語る印象的な部分があります。

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(本文から)
 周作は、人間が一生努力して追い求める出世とは、何であったのだろうと考える。それをつかみたいと望むうちは、確固とした到達点だと思えたのに、出世してみるとなんのことはない、ろくに固いものも噛めない老人となっただけの事であった。(人間というものは、目先の欲につきうごかされて働き、さても成果を得てみてはじめて、手にしたものがさほど値打もないとわかるのだな)
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 小説ですから、本当に本人がこう考えたかどうかはわかりませんが、そこまで成功した人は、昔を顧みるとそう思う瞬間もあるのかもしれません。人生の中では、実際に経験をしてみたり、手に入れてみると「なんだ、こんなものか」と思うことが多いと意外に多いのではないでしょうか。

 しかし、それは手に入れたからこそ言える事で、まだ成し遂げていないと感じるうちは、やはり手に入れたいという情熱に動かされますし、それが日々の原動力になることも確かです。

 確かに、一番を目指して一番になれなければ、何の意味もないのかも知れません。しかし、たとえ望んだ物を手に入れることが出来なかったとしても、悩んで、苦しんで、努力して、遠回りして、それでも手が届かなかった代わりに、多くの事が見えるようになるのだと思います。その後にやっと「人生ってのは、そういう事もあるからな」と笑って言えるようになるのかもしれませんね。それこそが人間の「深み」なのではないでしょうか。そういう人達は、素晴らしい指導者として多くの人を導き育てるようになる人が多いと思いますが、人としての深みがあるからこそ、教わる側にも伝わる何かがあるのだと思います。そこにこそ、人としての本当の価値があるのではないでしょうか。

 人は必ず死にます。そして、事故や病気で死なない限り、誰にも平等に老いがきます。しかし、老いたからと言って、その人が人として(例えば剣道であれば剣士として、教師であれば教師として)ダメになっていくと言う事ではないと思います。一生懸命にやってきた人は、必ずその技術以上の物をたくさん持っています。時間、経験、練習を重ねるごとに、技術と共に身に着けた心は衰えることはないからです。これこそが、歳を重ねる事の深みだと思います。ですから、老いてなお素晴らしい方がたくさんいらっしゃるという訳です。(というより、剣道の世界では信じられない事に、老いてなお心も剣道も強い先生がたくさんいらっしゃいます。)

 そもそも、社会の殆どの人が、自分の欲しいものを手に入れることが出来るわけではありませんし、逆に自分が欲しい物は手に入れていなくても、他人が欲しがる物を既に沢山手に入れている場合もあるんですからね、自分で気が付かないだけで。

 でもね、私はまだまだ欲しいんです!煩悩が俺のパワーだ!老いてたまるか!

第199号 「宿題」

 先日、ネットの記事でキング・カズことサッカーの三浦知良選手の記事を読みました。定期的に養護施設を訪れて子供たちとサッカーをする三浦選手に、抜き打ちで取材した記者が
「こういう施設でサッカーをしてあげているのは、好感度とか人気取りなんですか.。」
と質問したところ、彼はこう答えたそうです。
「僕が彼らに何かをしてあげてるって?逆に何かをもらっているようには見えなかったかい?」

 彼がとっさにこういう答えをしたということは、普段から本当に彼がこう考えているからでしょう。やっぱり本当に素晴らしいアスリートであり、指導者だと思います。本当の話であれば、心から尊敬します。

 どんなスポーツもそうですが、子供クラブの指導者の中には「たのまれたから教えてやっている」「お前たちが下手だから教えてやる」、また武道など段位があるものに関しては「俺は~段なんだから、指導をして当然。」「先生なんだから、俺が正しくて当然」という人が残念ながら、まだまだ多くいます。

 私が子供のクラブを始めて早いもので7年になります。ただ私の考え方は少し違います。「何かを教わるために」とも、逆に「教えてやっている」とも思っていません。 

 私は、これは神様からの宿題だと思っています。剣道を教わる全員が色々なことを学べるように手助けをできるチャンスを、また子供たちやお父さん、お母さんに剣道を教えることで、自分が成長するチャンスを頂いたんです。良い指導者になるには、まずは自分の剣道に磨きをかけなる努力しなければならない。つまり自分を磨くことのできるチャンスを頂いたという事です。結果として、子供たちや初心者との稽古を通じて多くの事を学びました。多くの素晴らしい「心」や「気持ち」を頂きました。それに子供の成長や初心者が上達してゆくのを見るのは純粋に嬉しいですしね。

 チャンスは色々な形で与えられると思うのです。例えば昇段審査に落ちた時。それは、もっと学び、努力するチャンスが与えられたという事なのです。審査で受かれば受かったでまた大変です。「本当にあの剣道で~段か?」「~段って、あれでも受かるんだ」と言われないように、一層の努力をしていかなければならないからです。試合で負けた時。多くの反省をまた稽古に反映させることこそが大切だと思います。強いて言えば、一本一本撃ち込まれた時にも、また自分が一本一本打ち込む時にも反省があり、学び上達するチャンスがあると思うのです。

 苦難の中で学ぶことが出来る人、立場が上になっても相手を認めることが出来る人。こういう人になれるように、私は剣道という大きな宿題を与えられているのかもしれません。先生から頂いた「実るほど、首を垂れる稲穂かな」という言葉を忘れずに努力していきたいと思います。