第192号「目の付けどころ」

 武道においては、色々な武道で共通した思想哲学以外に、
技術面でも意外に共通する部分があります。たとえば
体の使い方において、体の重心と体重移動に関しては、
共通する部分が多くあります。また、そこに共通
して使われる「丹田」という言葉も、実際に科学的な
用語ではありませんが、大変重要な観念として存在します。

 それは、全ての武道の技術が目指す、筋力や体格だけ
に頼らず、いかに効率的に大きな力を作用させるか
という技術の体得への鍵となる「脱力」にたどり着く為の
大切な要因なのです。

 同じように、剣道と弓道にも、多くの共通点があります。
まったく違う武器でありながら、不思議な事に、基本的には
両方の武道で「肩を落として、腹を充実させて、大きく
鋭く、のびやかに」というアドバイスを受けます。
初心者はここから始まり、そして高段者になると再びここに
戻ります。(おそらく、空手も同じだったと思います。)

 さて、今回は目付けの事についてお話をしたいと思います。
目付けとは視線の事なのですが、剣道における目付け
とは、「遠山の目付け」といって、遠くの山を見ているように
全体を見る様に相手を見る様にという教えがあります。つまり、
簡単に言うと一か所をじっと見つめるのではなく、全体を
ぼーっと見るような眼の使い方です。これは周辺視野を使った
目の使い方で、全体の動きを察知できるという利点があります。

 一方、弓道においても、的を見る時はじっと目に力を込めて
的を見るような事はありません。狙いを的に合わせる時も、
本当に弓と「合わせる」くらいに漠然と見るような眼の使い方が
良いと言われています。一か所をじっと見つめて「当てよう、
当てよう」と思うと、どこか体の余分なところに力が入って
くるからです。

 体の十文字正しく、左右バランスよく矢と体が平行に引かれ、
弓と矢と体が一体化して精神が満ち足りた時には、自然と妻手
(めて:弦を引く右手です。)が弦から離れると言います。
むしろ、的を狙って撃つだけの当てっこのような弓道は慎む
べしという、現在の弓道の哲学を考えれば、技術的にも精神的
にも非常に納得できる事です。

 これは、「ああやって、相手のここを打ちたい」「相手が
こうしたら、どこを打たなければならない」などと、心が
囚われる事があってはならない。気を充実させて気持ちで攻めて、
あとは自然に体が動くように修練すべきという剣道の教えと、
きわめて似ています。

いずれにせよ、相手や的に集中しながらも、一つの事だけに
心を奪われて他が見えなくなるなることが無いようにという
一つの教えは、たとえ修める武道が違っても大切な事であり、
これが更に日常生活でも役に立つようになることは、武道の
教えを日常生活で実践する、あるいは役立てるという、
現代人の大きな目的でもありますから、こういう事を学べる
機会があるのは大変ありがたい事だと思います。

第191号 「ぜよ」

 坂本竜馬の言葉にこんな言葉があるそうです。
「丸くとも 一かどあれや人心 あまりまろきは ころびやすきぞ」
角が取れて人柄が丸くなるのは良いけど、
一つくらいは譲れない所もなければ、
しっかりとした人にはなれないよ、と言う意味です。

 これを竜馬自身が本当に詠んだかどうかは置いておいて
この句は彼の人柄を非常に表していると思います。
堅苦しくなく、小事にこだわらず、むやみに相手を論破するでもなく
しかし、自分の信念に反するものには徹底的に立ち向かう。
さすが新時代への道しるべを作った男の一人です。

 人の間に立って事をなし得るには、丸も四角も、
どちらに偏り過ぎでもいけません。

 しかし、人の上に立って事を為し得るには、
丸くもあり、また四角くもなければなりません。

普通、若いころは四角くて、歳を経るごとに
丸くなってゆくのが人間ですが、子供の頃には
丸かったのが、大人になるにつれていつのまにか
色々な事にがんじがらめで、四面四角の人間に
なってしまう事も多くあります。

 もっとも悪いのは、心が逆三角形になってしまう人。
一見角々しく、大きく見えるのですが、何事も
頭でっかちで、やたらと虚勢を張ってみても、
足元はフラフラ...。

 龍馬の言うように、一つくらいは角があっても
良いと思います。ただし、龍馬の言うような
人としての一つくらいはポリシーが必要、
という理由ではなく、みーんな丸かったら
世の中は余りにもつまらないということです。

 色々な形があるから面白い。それは剣道だって同じ。
基本を守りつつも、やっぱり色々な「剣風」があるんです。
得意な技だって、身につけたコツだって、みんな違います。

 他の人と同じ形じゃなければ受けいれられないなんて
そんな社会はクソ食らえです。
 
 では、私自身はと言えば、丸くても角があっても
やっぱり、ぶつかったら痛い人になりたいですね。
(なんだこの結論は。:笑)

第190号 「恋の話をしよう」

 今日は剣道における異質ネタ、恋愛の話です。

 恋愛で相手を選ぶ時、どうやって相手を選ぶか。
この選択基準において、男性と女性では決定的な
価値観の違いがあります。

 例えば、自由恋愛において真剣にお付き合いがしたいとか、
結婚したいと思う相手と言うのは大抵、その時点で
世界で一番好きな相手と仮定します。

 ところが、この部分から男性と女性の恋愛観は
既に異なっているのです。男性にとっては
「自分にとって世界一の相手だから好き」
なのですが、これが女性にとっては
「好きになった相手だから自分にとって世界一」
となるのです。

 つまり、男性から見て女性は減点法なのです。
「あれ?ここは昔とはちょっと違う。」
「意外とここがダメなんだな。」
「こういう所は魅力が無くなったな...。」
長い時間が過ぎると、だんだんパートナーに対して
少しずつ不満が出てくるのは、その為かもしれません。

 たとえ、結婚して自分の危機を何度も救って
くれたとしても、また、その事にどんなに感謝をしても、
それとこれとは全く別で、悲しいかな、相手に出会った
頃の輝きや安らぎなど、かつて自分が感じた
相手の魅力をいつまでも維持して欲しいと願って
しまう。そして、そう思いつつも、やっぱり何かと
妻に甘えてしまう。これも、さらに愚かな男性の性なのです。

 反対に、女性は男性に対して基本的には加点法です。
だから、こんないい所もある、こんな事も出来るんだ
と、ポジティブに加点できる部分を常に探しています。

 ただ、実はこちらの方が怖いのは、男性にこれ以上加点の
可能性が望めないと判断した時、女性は男性を意外と冷静に
切り捨てることが出来るのではないかという気がします。

 女性も別れは悲しいですよ、そりゃあ。でも女性の
場合、実は自分の好きな相手に、これ以上の進歩が
望めなかった、その悲しさなのかもしれませんね。

 さて、子供の頃に剣道を始めるきっかけには、色々な
きっかけがあるはずです。親が先生で選択の余地がなく..
という特殊な場合は別にして、大抵の場合は
「誰かがやっていてかっこよさそうだったから」
という理由と
「親や先生に勧められて」
という二つの理由が主だと思います。

 しかし、憧れて初めて見たものの、厳しい稽古に
ついて行けなかったり、違うことに興味が移ってしまって
辞めてしまう場合も多くありますし、逆にあまり
興味がなかったのに、だんだん面白くなって魅了されて
いく場合もあります。

 そして、私の様に一度剣の道を離れ、やっぱり自分は
剣道が好きだった事に気づいて稽古を再開し、そして
若い時には判らなかった新たな魅力を知って、再び
剣道と「恋に落ちた」(というかハマった)方も
大勢いらっしゃると思います。

 こういう所は剣道も恋愛も似ているところだと思います。
そして、こればかりではなく、ただ自分勝手にやっても
逆に相手ばかり気にしても、なかなか上手く行かないのは
剣道も恋愛も全く同じです。

 無心の正面突破も良し、華麗な技術を使うも良し
しかし、速いだけじゃだめ。遅くてもだめ。

 剣道も恋愛も上手になりたいものですなあ。