第178号 「国際化の波」

 異なる国の文化をもつ人と仲良くなるには
どうしたらいいでしょう。

 この数十年で私たちのアイデンティティーは大きく揺らぎました。

 全てを失った戦後から立ち上がり、急激に経済を立て直し
必死で生活を豊かにしてきた50年代。

豊かさは加速し、生活が大きく変わる中で
若者たちが新しい価値を求めて叫んだ60年代。

 何かおかしいと感じながらも、資本主義を謳歌し
テレビとレジャーに心奪われた70年代。

 国際化イコール英語だとバイリンガルという言葉がもてはやされ、
金で何でもできると誰もが信じた80年代。

 ノーと言える強い日本を作ろうと
新しいアイデンティティーを確立しようとした中で
バブルがはじけて誰もが立ちすくんだ90年代。

 そして、政治も経済も混迷し、我を失い
世界にずるずると飲み込まれそうになった2000年代

 2010年代の今、あらゆる逆境の中で
再び拳を握って立ち上がろうととしている日本の人々は
より強い日本を望んでいます。

 より速く、より強く、より高く
強い国を再び目指そうとしている日本。
強いことはすばらしい事です。
私もこの歳ながら、やっぱり強くなりたいと思っています。
少なくとも武道を修める人間であれば、皆そうです。

 では、何がどう強いのか。強さにも色々な強さがあります。

 力には、さらに巨大な力、圧倒的な数、そして速さ、
すなわち、最新鋭の兵器と兵士の数が多い大国のやり方です。
力があれば、それを使わずとも相手を圧倒して抑止力になる
ということです。戦車に自分の車でぶつかって
みようと思う人は常識的にはいないということです。

 当然、剛には柔で、柔には剛で、という戦い方もありますし
さらに柔には、さらなる柔でという戦い方もあります。 
また、表から行くと思わせて裏、裏と思わせて表。
虚実を上手に使い分けるというやり方もあります。
戦争で言えば、ゲリラ戦であったり、情報戦であったりします。

 しかし、力が全く均衡する場合、堂々と正面から
命を捨てて突破するというやり方もあります。
気合いで相手の気持ちを飲み込んで戦意喪失させる方法です。
銃火器があまり発達していない頃の近代以前の戦いの
決戦はこうであったようです。

 そして、こういった色々な強さを併せ持っている人が
戦いにおいては本当に強い人です。

 しかし、現代の私たちにとって、
相手を徹底的に制圧することだけが
本当に目指すべき強さでしょうか。 

 武道は厳しい稽古を耐え忍んで修練することから
心の修行と良く言われます。
では、心の強さとはなんでしょう。

 例えば、人間に例えれば、どんな人にも
苦手な相手はあるでしょう。剣道で置き換えれば、
この相手だから自分の得意な技が中々出せない。
この相手は戦い方がは違うからやりにくい、
考え方が合わないから合気にならない。

 もちろん、タイプの違う相手によってやり方を変えたり
逆に、あえてやり方の違う相手に
合わせなかったりする事も一つの方法です。

 しかし、今はどんな相手が来ても自分は変わらず
引かず、あせらず、欲しがらず、ありのままに
心と体を動かせるようになりたいと思っています。

 同じように、自分は変わらず、どんな相手が来ても
対話できるような懐の深さと、剛柔両方をもって
双方が接することができれば、互いの国や文化を超えて
大切なことを分かち合える様になると信じています。
戦わずとも、もし双方に本当に人としての心があるならば、
きっとそういう相手には敬意を持つはずです。
戦いは避けられるはずです。
まさに「和而不流」(和して流れず)です。

 国際政治においてもこうあるべきと思うのは
ただの理想なのかもしれませんが
これこそが本当の強さなのであると思います。

第177号 「おもてなしとは?」

 オリピック誘致で一躍取沙汰された「おもてなし」。
「倍返し」と共に、今年の流行語大賞に選ばれそうな勢いです。

 さて、おもてなしが日本人だけの物であるかといえば
決してそんなことはありません。それぞれの文化に
おもてなしの心があり、それに準じた習慣があります。

 たとえばオーストラリア人は人を褒めるのが上手です。
また褒められ方も上手です。人前で人を立てるのも上手です。
それは彼らの社会で人間関係を円滑に行う為の知恵として、
こういう習慣が作られてきたからに他ならないのです。

 ただし、このもてなしの文化における習慣というのは、
実はもてなす方だけではなく、もてなされる方も
そのもてなされる心を持つことができて
初めて成立するのではないかと思います。

 武将、織田信長は武田家を滅ぼした甲州征伐の帰りに
富士見遊山で駿河(静岡県)を訪れています。
生涯で唯一の休暇と言われている一週間程度の
滞在でしたが、この時ホスト役であった徳川家康は
それは多くの財産を使って、国中の民を動員し
信長をもてなしたそうです。

 急遽決められた予定であったのに
行く先々ではことごとく道が整備され兵士が並んで出迎え
新たに多くの立派な休息所まで建てられていたそうですから
いかに家康がもてなしに心を砕いたかがわかります。

 信長が流れが激しいことで有名な天竜川を渡る時には
あらかじめ国中の船をあつめて浮き橋を作り、
これを多くの何百人もの兵士や農民たちが
船が流れないように何百もの綱を引っ張ったり、
水の中で船を支えたりしていたといいますし
他にも同じように、どこに行った先でも少しも
不自由を感じる事の無いよう気が配られていたようです。
しかも、もてなすのは信長だけではなく、
同道した多くの部下や兵士たちのためにも、
家康は同じく多くの施設を建てて
皆が喜ぶような食事でもてなしたといいます。

 どれくらい金をつかって贅沢をしたかではなく、
家康がどれくらいもてなす努力をしたかということを
信長は充分に感じたようです。

 さて、これ程の心遣いに感動した信長は
今度は家康を招待してもてなすのですが
ここでおもてなし担当だったのが、かの明智光秀。
用意した豪奢な食事がなぜか信長の逆鱗に触れ
領地を取り上げられて、今までの部下の下で
働かなければならなくなったことが
本能寺の変へと結びついて行くのですが、
なぜ信長の逆鱗に触れたのか。

 諸説ありますが、頭のいい光秀が、ただただ豪奢な
料理を用意しても、そこにもてなす心が無いことを
信長が見抜いていたのだとしたら
信長の怒りは十分にわかる事です。
(光秀のその後の扱いはひど過ぎますが。)

 そして、家康は自分の城に帰って一言
「上手にもてなすより、上手にもてなされる方が疲れる」
と言ったとか言わなかったとか。

 もてなす心があればこそ、もてなされる人の心がわかるというものでしょう。
日本人はどこの国に行っても比較的マナーが良いとされていますが
マナーが良い国民を作るためには、本当のところマナー教育うんぬんより
「人の事を思いやる気持ち」を持てる社会を作る事かもしれません。
そうでなければ日本人のマナーもあとっと言う間に地に落ちてしまうでしょう。

 自分の利益しか考えない社会を作らないためには
やはり、精神的に余裕がもてる社会を作る事が必要で
その為には、やはりそれなりの生活レベルの向上、
もしくは、お金がそこそこあれば幸せに暮らして行ける
社会を作る事が必要だと思います。

 逆に、金があれば何をしてもいいと思っているのは
急にお金持ちになった人だけで、こういう人たちこそ
今度はそれにふさわしい人柄を身に着ける努力をすべきです。
日本人観光客だって、40年前は田舎者と笑われていたんですから。

 剣道でも、何が何でも勝ちたい、人を蹴落としてでも有利になりたい、
みんなの前で強いと思われたい、勝てば何をしてもいい、という人たちが
本当に相手に対する礼の気持ちを持っているかどうかというのは、
ちゃーんと、見る目がある人の目には見えるのではないかと思います。