第171号  「バカでいこう」

 自分で、あまりの才能のなさに落ち込むことがあります。
ささいな事でも、突き詰めて考えてしまうことがあります。
時には、投げ出してしまおうかと思うこともあります。

 でも、自分を先生と呼んでくれる多くの子供たちや仲間がいます。
自分を乗り越えようと稽古に励んでいる後輩たちがいます。
暖かく見守って下さる先生方がいます。

 こんなに多くの人たちとは出会えたのは、
投げ出さずに続けてきたからであり
また、この人たちがいたからこそ、自分が続けてこれたのです。

 その気持ちを忘れないようにしなければなりません。
やりたくてもできない人が大勢います。
その人たちの気持ちを考えれば、途中で投げ出そうなどどは、
ただの甘えた気持ちでしかありません。

 だから、やるしかないんです。

 必死でやっている人を笑う人は、やっていない人です。
でも、やっていない人の事を、やっている人は決して笑いません。
なぜなら、一心不乱に努力している人は
そんなことに意識を払っている暇は、一瞬たりともないからです。

 逆に言えば、笑っている人の事を気にしている間は
自分はまだまだ一所懸命にはやっていない。

 だから、自分の出来ることを、出来る範囲でいいから、精一杯やる、
バカと言われても、無駄だと言われても、一所懸命やる。

 バカと笑われたっていいじゃありませんか。
バカだって、バカの真心を持って突き抜ければ。

 そもそも、自分をかいかぶりすぎていやしませんか。
カッコ悪くたっていい。バカでいこうじゃありませんか。
少なくとも、そっちの方が充実した人生を送れそうですからね。

 じゃあもし成功しなかったら?その時はその時。
また立ち上がって歩きだしましょう。

 これでいいのだ。



第170号  「俺はエゴで固まっているか」

 エゴズムというのは、辞書を引くと利己主義と出ています。
すなわち、自己の利益しか考えない主義です。 
したがってエゴイストとは唯我論者、つまり自己中心的な人、
言い換えれば、うぬぼれの強い人のことでもあります。

 例えば、子供の頃に極端に与えられなかったり
逆に与えられすぎてたるすると、反動でそのようになったり
また、極端に頭がよかったり、何かが出来たりすると
往々にしてこのような人になってしまうこともあります。
もちろん、他にも根拠はあると思いますが。

 そして、もうひとつのエゴイストというのは
何かを得たような気になった人の事です。

 得るというのはお金のように物質的な富だけではなく
名誉、人気、評価、人徳、知識、知恵、技術、などの事でもあります。

 これらの中の一つでも、実はまだ自分は得ていないのに
さも得ているような気になる、そうなると
当然自分の方が偉く感じる。

他人の言うことなどは耳も傾けない。
だからますます自分の心が曇る。技も曇る。
それを見えていないのは自分だけです。
自らの目すら、奢りで曇っているからです。

 例えば、自分より技や体力の劣る相手に対して
「この人はダメだなあ。」と思った時点で
そこに敬意はありません。
敬意がないと言うことは礼儀がない。
これが剣道であれば、礼儀のない剣道などありませんから
いくら相手にうまく竹刀を当てられようとも、
「あなたのしていることは一体何ですか?」
という事になってしまう。

 人間は愚かですから、こういう所には実に簡単に陥ります。
慢心、うぬぼれ、虚栄心、知らない間にこっそりと
自分の心の中に忍び込むもの。いや、実は忍び込むどころか、
これがない人なんて、そもそもおりません。

 ただ、他の人も皆同じ道を歩む仲間と思えば
そう言った慢心する気持ちも
抑えられるのではないでしょうか。

 逆に、同じ道を歩む仲間の事をそう思えなければ
あなたは今、満身エゴで固まった人になってしまって
いるのかもしれませんよ。

第169号 「手に汗にぎる」

子供のころからお世話になった先生と
お話をしていた時の事です。

「福本君、見取り稽古をしていますか?」

いや、そりゃしますよね。はい、してますしてます。

「私は、上の先生に稽古をお願いする時に
前に何人も並んでいると、自分の番が来た時には
手が汗でびっしょりになってるんです。」

 つまり、単に技や攻め方などを見て考えているだけでなく、
自分が前の人になったつもりで、見取り稽古の間に
ずっと心の中で相手の先生と戦っているんだと。

 だから、自分の順番が来て稽古をお願いするまでに
既に何回も先生に稽古をお願いしていると。

 小生も、チームの試合や仲間の試合などでは
手に汗握ることもありますが、そういう気持ちで
見取り稽古をしたことは無いかもしれません。
(絶対に一本とってやると、すごい気合で
先生と稽古に臨むことは毎度の事ですが。)

 見取り稽古というと、技を盗むと言うことですから
「こういう時は先生はこうするんだ」
「俺ならこう先生に掛かるなあ」
と言う気持ちで、先生の一挙一動を見逃さないくらい
一生懸命心に刻みつけようとしています。

 しかし、少し見方を変えて見取り稽古に臨むと
また、違う意味で集中して行う事ができるんだなあと、
改めて目から鱗が落ちた気持ちでした。

 これが本当の真剣な見取り稽古かもしれませんね。
ぜひ次は手に汗握るような見取り稽古をしてみたいと思います。