第155号 「着座と正座、その1」

 子供たちの稽古では、所作に関して
お小言を言うことがよくあります。
正座をする時に、正しい姿勢で音を立てないで
立ったり座ったりということは
子供にとっては意外と難しいのです。

 例えば足や手を床につく順番にしても、
当然の事ながら一つ一つの意味があります。

 剣道では左足から座り、常に右ひざから立ちます。
 これは瞬時に刀を携えて応戦することができる動作で
立つ時に左足の膝を先に立てたり、左手を先についたりしたら、
右手で刀を抜くときの動作が遅れる可能性があるからです。

 といっても、実は長い刀を帯に刺したままで
畳や床に正座をすることは作法としては
有り得ないんですが(脇差の場合はあります。)
実はこれは戦国時代に戦時に鎧を着けて
刀を腰につるしたまま立膝で座る名残ということで、
剣道では防具(鎧)をつけての戦支度と同じですから、
何事もまずは心構えということで
理解しておけばいいと思います。

 話を戻しますが、この礼法は、
単に手を突く順番が違うとか足の順序が違うとか、
そういうことだけではなく
子供にとっては体の訓練でもあるのです。

 大抵の場合は、重力を利用するのではなく、
重力に引っ張られて、ドタッと座る子供が多いのですが
実は正しくきれいに座るためには、ある程度の筋力が必要です。

 上体を崩さずに、手を体側に揃えたままで立った位置から
正座をする時には、腹筋、背筋、腰、ひざ、もも、ふくらはぎ
足首、つま先と、これらのすべての下半身の筋肉を
自然にフル動員で使います。

 ですから、こういった所作を通じて、子供たちにも
普段使っていない筋肉を使って貰いたいと思っている訳です。
おそらく普段の生活の中で一週間正座をすることがない
ということは、特に海外に住んでいれば当然ありうることです。

 このような色々な筋肉を使うことで体幹を鍛えることも、
スポーツの為だけではなく健康な体を維持する為にも
よい事だと考えています。

 そして、その鍛えた体をもって、静かに行動する
習慣をつけることで、子供たちも他人に対する配慮という事を
学ぶべきなのではないかと思います。

 次回へ続きます。

第154号 「教育的」

 習い事は本人の取り組む姿勢が一番大切ですが
指導者の技術も上達の大切な要素だと思います。

 指導者として基本的に気をつけなければならないのは、
学習者がわかりやすいように説明することです。
それには、ちゃんと理論を理解し、
それを平易な言葉で説明できるかということです。
その理論や技術をそれぞれの学習者の年齢や経験、
環境文化に応じて、うまく嚙み砕いて
説明できなければなりません。

 初心者が「そこは気位で攻めて」「手の内で打って」
なんて言われてもわかりませんし、できませんよね。
また中級者に「剣道って、こうやってやることになってるからやって」
だけでは、やはり学習者が納得できる説明になっていませんから
当然ですが、やはり段階を踏まえて指導の仕方を変える必要もあります。

 もちろん、理論は実践できる理論でなければならず
決して机上の空論であってはならない訳ですから
色々な技を知っているかどうかは勿論大切ですから、
指導者としても修行者としても、例えば剣道であれば、
まずは剣士として自分の技術そのものに
磨きをかけなくてはなりません。

 また、教える為にもうひとつ大切な事があります。
それは学習者のモチベーションを上げる事です。
いかにその気にさせ、継続させるかというのは、
学習者が継続して行くのに、とても大切な大切なことです。

 私は、少年の指導というのは、
上達の「手助け」をすることだと思います。

 礼法に関しては、とにかくやらせることです。
どんな小さい子供でも見よう見まねでやれば
できるはずです。意味はあとでちゃんと
教えればいいのですから。(ただし、大人の場合は逆です。)

 しかし、技術に関しては、初心者のうちには
癖のつかないように、丁寧に動作を教える必要がありますが
防具をつけるようになったら、ある程度自由に
やらせてみることも必要だと思っています。
一から十まで全て手取り足取り教えてしまったら、
子供は自分で考えること、努力することを止めてしまうと思うのです。

 先生の指導に従いながら、同時に自ら考える工夫する
ということを子供たちにも学んでほしいと思っています。
また、指導する側も、常に考え工夫していかなければ
ならないと思っています。

 よきプレーヤーとなる為に学び、よき指導者となる為に学び、
指導することで学び、指導する事を自分の修行の一部とする。

 こういった考え方がキチンと浸透してゆけば
またそのスポーツの将来も変わってくるのではないかと思います。

第153号 「体育館に礼」

 またしても噺家シリーズです。三遊亭円楽師匠の
息子さんは三遊亭一太郎さんという方ですが、
三遊亭という名前からもわかるように、
当然一門に弟子入りしている訳ですから、
父と子でありながら、師匠と弟子という関係でもあります。

 すると、師匠の自宅が稽古場の場合は、当然ながら
自分の住む家の親の部屋が稽古場となる訳です。
本来ならばくつろげるはずの自分の家の中で、
師弟関係のある修行をしなければならないのです。
伝統的な芸事はこういう縦の決まりが非常に厳しいので、
稽古場に入ればそこは当然「師匠と弟子」以外の何でもありません。

 しかし、そこは自宅です。部屋を出れば稽古以外の時は
単なる自分の家です。厳しい師匠はやさしい父親です。

 ですから、一太郎さんは稽古が終わると一旦家の外に出て
「ただいま~」と言って息子として帰宅していたそうです。

 まあ、確かに剣道でも一度道場に入ったら先生の子供でも
単なる一生徒ですから、他の門下生と扱いはまったく同じです。
(特別扱いといえば、見せしめに少し厳しくされる事くらいです。)

 剣道も同じで、私も道場の納会などの宴席などでは、
父がいる時は当然常に下座の末席で、片付けや準備のお手伝いでした。
父の隣に座ったことは、剣道関係の場では、
結局一度もありませんでした。
 もし、まだ生きていれば、子供のクラブで一緒に
上座で隣に座って欲しかったなあ、と思いますが、
それはさておき。

 三遊亭一太郎さんの話は「けじめ」ということです。
もっと簡単に言えば「気持ちの切り替え」と言うことです。
特に日本以外では、ほとんどの剣道クラブの稽古は、
学校などの体育館を使っています。
体育館にバスケットボールをしに行く時は
入る時に礼はしませんが、一度剣道具を担いで
ドアから入るときには礼をします。

 それは、剣道をする場であれば、そこは
遊興の場所ではなく、道場です。
道場が神聖な場所であると言う考え方は
確かに時代遅れかもしれませんが、
少なくとも、自分たちが教えを受ける修行の場であり、
その修行する場所があることを感謝すれば
それは礼の心につながると思います。

 ですから、例え形式的なことでも
それを感謝の気持ちとして受け取る事ができれば
体育館で礼をすることも自然な事と考える事が
できると思います。

 稽古の場所でゴミを散らかしたりしないのと
同じような気持ちを常に持つことができれば、
さらには子どもたちのが他の公共の場所でも
たとえ頭は下げずとも、汚さず大切に使う
という気持ちを持つことができる様に
なるのではないかと思っています。