第144号  「実戦と実践」


「もしこれが日本刀だったら」
「実際に刀で戦ったら」

 剣道を修行する人は必ず一度は考える話です。
また、実際には議論をすることもあると思います。
竹刀を使っても、剣道というくらいですからね。。

 実は私自身は、あまりこういう話は興味がありません。
いや、興味が無いというよりも、あまり意味のある
議論にはならなら無いのではないかと思っています。

 竹刀は刀であるから、刀法に沿って、
つまり刀の理論に当てはまるように、
ただ早く相手に竹刀を当てるような
技術ばかりではいけない。

 それはそうなんですが、
じゃあ剣道が駄目かというと
まったく次元の違う話だと思うのです。

 たまに居合や古流の剣術をされている方の
ごく一部の方の
「剣道じゃ本当には戦えない。
あんなものはただの竹刀での叩きっこだ」
という意見を聞いたことがあります。
それどころか、剣道の修行者の中にさえ
こんなことを言う人がいます。

 居合も古武道も否定する訳ではありません。
しかし、一人で鏡の前でただ刀を
振り回していれば戦えるのでしょうか。
形稽古だけ繰り返していれば戦えるのでしょうか。
据え物を沢山斬っていれば戦えるのでしょうか。
技を想像するだけで戦えるのでしょうか。

 そんな馬鹿な話はありません。

 剣道は竹刀をつかいますから、竹刀だけしか使えない
技術もあります。ですから、やはりすべての動作が
まったく刀のようにとは行かないかもしれません。

 それよりも戦う感覚、つまりは実際に知らない相手と
戦う為の体力や距離感やスピード、
そして相手の動きや心のひらめきをつかむ感覚などは
一人で形だけやっていては身につかないことです。
そして、実際にそういうことを念頭において
一人でも稽古されている方も、
また強いのではないかと思います。

 つまるところ、懸命に稽古をして力をつけた
強い人が強い。だから剣道で強い人も
居合で強い人も、本当に強い人は強いと思います。

「そんな竹刀のあてっこの剣道じゃ、刀では戦えない。」
それが単なる自分自身の稽古不足の言い訳にならないように
懸命に研鑽する人は意外と少ないのではないでしょうか。

 そもそも、剣道の目的は違うところにあります。
現代では本当に人を殺傷できるかどうかより
恐れずに人に手を差し伸べる強い心。これがもっとも
鍛えなければいけないところなのではないでしょうか。

 その為に自己を鍛えるのであって、人を殺傷できる
技術を持つことにただ満足をしている人の、その武道人としての
その心のあり方は、甚だ疑問であると言わざるを得ません。

第143号 「器」

とある友人が、自分の器が小さいと言って嘆いていました。
でも、本当は器は大きさじゃないんです。

 大きくてもゆがんで汚い器に、
小さくても誰もが手に取りたくなるような器。
古くてもすばらしく魅力的な器や、
新しくてきれいでも何の役にも立たない器。
本当に色々な器があります。

 ただ、たとえ器が小さくても大きくても、
また、それが古くても新しくても、
自分自身に出来るのは、それをいっしょうけんめい
磨くことだけです。

 そして、他の人が何を入れてくれるかは、
それ次第だと思います。

 器が小さいからといって笑う愚か者も、
その小さい器に無理やり大きなものを詰め込もうとする
馬鹿者も相手にする必要はありません。

 自分の小さな器に、いつかきっと、
ダイヤモンドを入れてくれる人もいるでしょう。
渇きを癒すきれいな水や、多くの人の命を救う
大切な薬を入れてくれる人もいるでしょう。

 そして、小さいからこそ、
大きな価値がある器だってたくさんあるんです。

 だから、自分の器の小ささを嘆かないで下さい。
あなたの器は、たとえ小さくてもきっとすばらしい器です。

そのことを信じて、自分を磨いて行きましょう。
みんな負けるな、がんばれ。

第142号 「汝、おそるるなかれ」

 怯むという言葉があります。辞書で調べると
1 おじけづいてしりごみする。気後れする。「相手の剣幕に―・む」
2 手足がなえる。しびれる
と辞書にはあります。

 ちなみに、この剣幕という言葉は当て字だそうで
元々は見脈(様子を表す言葉)や険悪(怒りを表す様子)
の音が次第に変わって、この字を使うようになった
ということですが、もしかして、文字通り
「幕を張ったようにたくさんの剣を向けれられているようなすさまじい様子」
という意味があったとしてもおかしくはないですよね。
その状況を考えるだけでも、それは恐ろしいです。

 さて、剣道において怖気づいてしりごみするというのは、
初心者や子供のうちと、ある程度段位を経てから
というのはやや違う気がします。
子供の時は「怖い先生だなあ」といってしり込みすることもありますが
段々成長してくると、大抵の場合はどんな強い相手でも、
心の中では「なんとかがんばって一本打ち込んでやろう」と考えます。

 ただ、試合などで「負けたらいやだな」と思って
知らない間に思い切って相手の懐に飛び込む事を気後れしたり、
強い相手や徹底的に守る相手に対してどう攻めていいか
迷って気後れすると言うことはよくあると思います。

 大切なのは、こういう気持ちを克服すること...というよりも
色々考える前に、ぱっと体が動くようにならなければ
いけないんでしょうね。こういうことが迷わずに他の人を
助けたりできるという事に結びつくのだと思います。

 しかし、昔の本当に刀で斬りあっていた頃は
相手がどんなに素人でも、刀があたれば切れますから
それは恐ろしかったと思います。

 明治に生き残った、幕末に実際に斬りあいをしていた人は
「本当に斬りあいになったときは、
とにかく刀を八双(右肩に担ぐような構え)に構えて
あとは気合で相手に飛び込んでいくしかない。」
と語っていたそうです。

 また、ある人は
「斬りあう時の相手との間合いは」
と聞かれて
「斬った相手の白い骨が見える距離」
と答えたと言いますから、なんとも不気味な話ですが
それくらい凄まじかったようです。

 ちなみに戦国時代は甲冑を着けての戦ですし
軽装の足軽などは槍を持たされますから
事情は大分違ったのではないかとも思います。
(戦場では自然と、刀は斬るより突く、
槍は突くよりも薙いで叩く
といった戦い方になったそうです。)

 また、平和な江戸時代に入って
侍も戦うことはあまりなくなりましたが
それでも幕末の動乱期は戦乱の時代でしたから
斬りあうことも多くあったと思いますが

 ですから昔の人は、そういう修羅場に直面しながら
剣道の稽古をしていた時代もありましたから、
決してそれがうらやましいとは思いませんが
さぞかし肝も(心も)鍛えられたことでしょう。

第141 「審判とレフェリー」

 先日の世界剣道選手権大会で信じられないことがありました。
試合中、ある国の選手との審判の判定に、会場の一部から
ブーイングがおきたことです。そして試合者も不当に時間稼ぎをしたり
アピールをしたり、まともに礼もしないような行為が見られました。
日本では、まずありえないことです。

 サッカーやバスケットボールではありがちなことですが
これは剣道ではあってはならないことです。どこの国の選手でさえ、
剣道には礼節というものがあることは、まず一番初めに教わることなのです。
そして、殆どの国ではこういったことは、時には日本以上に
重んじられ、価値をおかれていることなのです。

 こんなことすら教えない指導者が海外で増えたとしたら、
こんなこともわからない人たちが指導者になったら、それこそ
剣道はただのスポーツになってしまいます。

 剣道の審判は単なるレフェリーではありません。多くの場合は
経験をつんだ剣士であり、その判定によって、その人の剣士としての
考え方が見られるのです。つまり、ただ早く軽く当たっただけの打突や
理に即さない打突を認めた場合、そういう剣道を認め、目指していると
判断されるということになります。

 もちろん、試合者のレベルによってある程度許容範囲を
広げることはあり、その辺の加減もまた審判として
非常に難しいところです。

 たとえば、私がある試合の審判をした時に、試合後八段の先生から
指導を受けたことがあります。

 私は相手が完全に防御ができない体制、その場合では、
相手が両手を挙げて防ごうとした、そのタイミングも間合も残心も
バッチリだった胴への打突に旗をあげました。しかし、先生の
ポイントはそこではなかったのです。
「上段からの攻撃であれば刀の場合は切り落とす技であるから
あの状態から竹刀を水平に廻して斬った場合の打突は認めるべきではない」
つまり、刀の技として出来ない技術の打突は認めるべきではない
ということなのです。

 概念の問題なので、その考え方に賛成するかどうかは別にして、
このように剣道の審判は非常に難しく、なおかつあれだけ速い打ち込みを
見逃さない目も必要で、それ以上のものが要求されます。

 ですから、判定として当たった当たらない以上のものがあり
またそれも剣道の難しいところでもあり、面白いところでもあるはずのですが
それに関して判定を不満としてブーイングをすると言うことは、
無礼も甚だしい行為のです。

 たとえ審判が判定を間違えたとしても、おそらくそれをもっとも
恥じているのは審判自身です。角度的には一瞬見えないこともありますし
それを音で判定することもあります。そういうことがないように
上級者、高段者はは講習を受け、審判としての訓練もうけています。

 世界大会などでは、正直「あ、今のは審判が取れなかったな」
という場面もあります。しかし、それはあくまでもちゃんと両試合者を
公平に見た上でということです。

 それに対して、ブーイングなどで判定に不満を表して
判定を覆そうなどというのは言語道断も甚だしいところです。

 こういった意味で、剣道がオリンピック競技となれば、そこには
当然お金や国益が絡んでくる国もありますから、いかに試合に勝つか
いかに有利にするか、ということに重きをおかれるようになり
すると競技自体も変わってきますし、審判基準も当然変わることになります。
観客も当然剣道を知らない人たちが見ることになりますから、
なんで当たったのに旗が上がらないんだ、ということになれば
ブーイングもおきるでしょう。

 そうなった時には、剣道は剣道としての価値を失うことになります。
一部のブーイングをした観客が選手や剣士ではなかったことを心から祈ります。

 余談ですが、私はどんなスポーツの試合ですら、私は相手にチームに対する
ブーイングは嫌いですし、反則行為や不公平な判定が度々起こるような
スポーツは、成熟度が低いか、その審判体系に不備があると思っています。

 審判が見てなければ相手のユニフォームを引っ張ったり、
当たっていないのにファウルされたかのような動作をしたり、
こんなものが紳士のスポーツと呼べるでしょうか。
コーチたちはそういうサッカーを目指しなさい(あ、言っちゃった:笑)
と、小さい子供たちに指導するのでしょうか。

 好きでよく観るスポーツだけに、あえて批判してしまいましたが、
あ、柔道で試合終わって礼をする前にガッツポーズするのオカシイですよね。
フェンシングでもよくやりますけど、フェンシングにも騎士道があるから
あれも違和感があるなあ..ただ西洋のものだから感覚が違うのかも知れませんね。