第140号 「鵜の首造り」

 先日、剣道形の稽古の為に脇差(短いほうの刀)の
居合刀(練習用の刀)を日本ではないお店から
インターネットで買ったんですが、
届いてみたら、これが予想外のデザイン。

 何が予想外かというと、刀の峰の部分(刃の反対側)
が真ん中から先にかけて細く削ってあるデザインなんです。
ええっ!?っと思って、もう一度ネットでよく写真をみたら、
確かにいわれて見ればわかる感じなんですが...

 日本刀に相当詳しい人ならともかく、小生は
本当にお恥ずかしい限りですが、剣道を修行する者として
最低限度の日本刀の知識しか持ち合わせておりません。

 アニメの登場人物の持つ想像上の居合刀まで
インターネットでは売られている昨今ですから
はたしてこんなデザインが、本物の日本刀でも
存在するのかと、似ているものをインターネットで
探してみたら、こんなのがありました。

http://www.pref.miyagi.jp/bunkazai/siteibunkazai/miyagi-no-bunkazai/04Kougei/ken/11wakizasi.htm

 江戸初期の刀で、見た目は殿中差のようですが、
(お城に長い刀を持って上がるのは禁止されていました。)
藩主の持ち物だけあって、まさに上級武士の贈答品のようです。

 さて、このデザインは何かと思って調べてみると
「鵜の首造り」と呼ばれるものらしいです。
刀の峰側からみると、峰の部分がだんだん細くなって
先がまたちょっと太くなるところが、
鵜の首に似ているからでしょうか。
普通は主に短刀のデザインだそうです。

 しかし、いろいろ調べていくうちに、
色々と勉強になったことがあります。

 このような形の刀以外にも、途中から
峰の先の部分が細く削られている刀があります。
それは薙刀(なぎなた)です。
ピンとこないかたは、時代劇などで
お城の女性が鉢巻をしめて振り回しているのを
思い出してください。アレです。

 薙刀の刃は、先にいくと幅が広くなっていますが
同じように途中から峰の部分は削られています。
おそらく重さを軽減するのが目的と思われます。

 鎌倉から室町時代にかけては、戦場で騎馬武者に
対しての有効な武器として使用されましたが
戦国時代後期になると、戦い方の違いから
あまり戦場での需要も少なくなったようで
多くの薙刀が磨り上げられ(短く切られ)
切先を小さくして、脇差として使われたそうです。
その薙刀の形を考えれば、鵜の首造りのような脇差にも
とても納得がいきます。

 ただし、本当に薙刀のものを刷り上げたのであれば
本当は鵜の首造りではなく「冠落とし」という、
切っ先のしのぎ部分も細いままの形になるはずなんで、
これもおかしいなあとおもっていました。

 そしたら、他にもありましたよ。
やはり、本物は室町時代の刀だそうです。
至近距離で扱いやすく実戦的だそうです。

 そして、平和な江戸時代には、その実践的な切れ味を求めて
古刀に回帰する動きも見られ、多くの古刀風の造りの刀も打たれます。

 江戸時代の天才刀工の源清麿(きよまろ)も
同じような「鵜の首造り」の刀を造っています。
ちなみに新撰組の近藤勇の刀で有名な「虎鉄」ですが
実ははじめに購入したものは清麿ではなかったか
という話が現代では有力だそうです。

 元々清麿は江戸の四谷に住んでいたから
四谷正宗(正宗は日本刀剣史上もっとも著名な刀工の一人)
といわれたぐらいの名工でしたから、
おそらく切れ味は凄く、近藤が虎鉄と信じて
愛用したのも納得できます。

 普通は江戸時代に作られた新々刀というのは
古刀と呼ばれる鎌倉時代の刀に比べて
評価も劣るらしいのですが(この話はまた別の機会に)
42歳で自害しているので作刀数も少ないのに加えて
刀自体もすばらしく、近藤勇みの話もあることから
ますます現在では値段が高くなったということです。

 ですから、現代作られている模造品には
当然ながら源清麿写しの飾り物の刀もあるわけで、
それを海外の模造刀屋が、ちょっと他とは違うラインナップを、
といろいろ探した時に、日本で作られていた
鵜の首造りの脇差の模造品を見て
「あ、これカッコいいじゃん!」
といってコピーしたんではないかと
推測されます。

 こうして、私はついうっかり、
何の役にも立たない事の検索に、
非常に多くの無駄な時間を費やしてしまう事が
お分かり頂けたでしょうか。

第139号 「四十肩」

 四十代半ばにして、とうとうなってしまいました。
そう、四十肩です。

 車の運転が終わって、車から降りてトランクを開けたとたんに
「アレ?腕があがらない」
無理に上げると肩に不穏な痛みが走りました。
あ、これはもしかして、と思ったら案の定です。
それからほとんどの角度で左腕を肩より上に上げることができず
うっかり左手でコップをつかむと「ううっ」という状態になってしまいました。

 しかも稽古の前にです。そして稽古。

 不安を抱えてのぞんだ稽古ですが、不思議なことに
なぜか竹刀を持って、まっすぐ左手を額の上まで振り上げる動作だけは
普通にできるんです。でも、他の動作はまるでだめ。
早く違う角度から竹刀を振り上げて打とうとすると
ぜんぜんうまくいかないどころか、肩が動かない。

 「はっ!これはきっと、まっすぐ大きく振る稽古をしろという意味に違いない!」
と、得意の訳のわからないポジティブシンキングで稽古をしたんですが、
まあハンディがあるとかえって燃えるというか、楽しく稽古ができました。

 肩に関してはありがたいことに色々な方が色々なアドバイスを下さいました。
そういえば、大昔に読んだ本には、「よく暖めて動かす事」と書いてあった気がしました。
うすうす「これは絶対に違うんだろうなー」と思いながら、ちょっとネットで
検索してみると、やっぱり少し違いましたね。(笑)

 結局のところ、名前は違うものの症状は他のスポーツ障害と同じで、
動きに痛みが伴うのは、つまりが損傷か炎症ですから、
他の怪我と同じく、急に痛みが出たときは
RICE-Rest(安静) Ice(冷却)Compression(圧迫)Elevation(高挙)
と呼ばれる処置が有効です。

 ということで、稽古の後は帰宅してすぐにアイシングをして
消炎剤の入った湿布をしました。肩は既に心臓より上ですから
問題ないとして、アイシングパッドをタオルでしばって
おしつけながら、その上からちょっときつめのジャージを着ていました。
後はマッサージチェアで肩甲骨の筋肉の硬くなった部分も
もみほぐしながら、そのまま爆睡です。
翌日は相当痛みもひいて、いい感じです。

 そして、痛みが治まったら暖めて血行を良くしながら
少しずつ可動域を広げるということが必要のようです。

 肩を使う運動といえば...素振りです。
よし、今から素振りだ!!!
(心配してくださった方々、頭悪くてすみません。)

 皆様も、怪我にはお気をつけください。

第138号 「正しい道」

 正しい剣道をしなさいとよく言いますが、
姿勢や気勢、まっすぐな打ちや残心など、打突の事と
混同される事が多いのも事実です。

 では、正しい剣道とは何を指すのか。
正しい剣道とは「刀法(刀の理合)に則った剣道」
と言われています。

 スピードや力や体のサイズに頼らない剣道を身に着ける、
つまり相手の心を読んで、相手の間合、機会、技を制し、
確実に相手を打つことです。

 本当に自分でも、こんな剣道が出来たらいいと思います。
全ての剣士の目標です。

 しかし、その修行の過程で各剣士は、色々なタイプに
分かれることもあります。ちょっと例をあげてみましょう。

・常にあらゆる角度から攻め続けて相手を圧倒する剣道。
・静かに相手の心の隙を読んで「ここ」というところで攻める剣道。
・遠くから飛び込んで速く竹刀を相手に当てる剣道。
・とにかく正面から威圧して相手を一太刀で斬るような剣道。

 わかりずらいと思ったら、商売に置き換えるとわかりやすいかもしれません。
例えばラーメン屋です。

・お好きな麺にトッピング、お子さまセットも選べて駐車場完備の郊外ファミリー型。
・場所柄飲んだ後の客も多いから、深夜営業で味も濃い目。土地客層重視型。
・ラーメンどれでも600円。早く安くても味はそこそこ絶品。駅前・オフィス街型。
・秘伝スープにこだわりの麺。ウチは味で勝負。行列も出来るこだわり本格派型。

 どうでしょうか。当然の事ですが、同じラーメンでも
当然場所や客層が違えば、商売の仕方は違いますが、
それでも最終的には供給する側が選択をするのです。

 すべての人がお腹が空いた時にすぐ食べたいと思って食べるのか、
こだわる人が遠くからでもわざわざ並んで食べにくるのか。
それを選ぶのはあくまでも自分なんです。
どれが悪いということもありません。

 ただ、これらは商売ですから
「自分の商品に対する代価を払ってもらう事」
という根本的な共通点があります。
そこで成功しなければどんなこだわりや戦術も
意味はなさないという訳です。

 これは剣道で言えば勝つこと、すなわち、
相手を竹刀で打つ事です。

 では「正しい剣道」ならぬ「正しい商売」とは
何でしょうか?ただ、客から代価を貰って
大きな利益を上げれば、それで良いのでしょうか。

 まず、消費者にとっての最大の利益というのが、
「消費者にとって適正な価格で満足の行くサービスと商品」
だと思います。

 だから、どんなビジネス形態にしろ
「商品(サービス)の提供」(自分の打突)が
「顧客の満足」(相手の心の動き)に一致した形で、
しかも、顧客の満足が企業の利益だけではなく
社会利益となって自分の富に還元される。
(相手の動きがおのずと自分の勝機となる。)
その上に「富の追求」(相手に勝つ事)が成り立つ
と言う形になることが、最も良いビジネスであると考えます。

 剣道で言えば、自分の理屈に則った無駄の無い打突
(相手が躊躇した所、動こうとした所、動きの尽きた所)
が相手の体を心をとらえ、相手も自分も納得する打突が
出せたかということです。

 そして、その為には、
 
・無理やり相手に物を買わせる(力まかせに無理やり相手を打つ)
・ロクに説明もしないで買わせる(ただ竹刀を速く当てるような技を出す)
・違法なものを買わせる(姿勢を崩して、ただ竹刀を当てる)
・アフターサービスがない。(打った後の気迫や動作がない)

と言うようなビジネスでは、
やはり「正しい商売」とは言えません

 どんなに凄い技を持っていても、常に相手に打たれない様に、
勝手なところからただ強引に、そして徹底的に相手に
当てるだけのような剣道では、やはり、すばらしい剣道と言えない、
と言うのはこういう事なのです。

実際のところ、望みを言えば
こだわりの味を、安く早く提供できて、
そして多くの人が「おいしい」と言って
食べに来てくれるのが一番いいですね。

しかし、それをどうやって
肝心の剣道に例えたらいいんでしょうか...。

第137号  「老眼鏡」

「近すぎて見えない奇跡があるね」という歌いだしで始まる
歌があります。80年代後半に青春時代を送られた方には、
おなじみの曲です。私もよく聴きました。
カラオケでも歌いました。女の子にもよく歌ってもらいました。

 そして、いまや近すぎると見えないのは本の活字で、
そろそろ老眼鏡が必要になり始めたこの頃です。

 と、くだらない話のオチはさておき。

「兵法の 奥義は睫の 如くにて あまり近くて 迷いこそすれ」

という道歌があります。まつげが普段見えないように、
思い悩んでどうしようもないことの答えが、いつも目の前にある
本当に簡単なことだったというのはよくあることです。

 こんな簡単なことの為に何年も遠回りしたのかと、自分ながら
あきれる事も多くありますが、逆に言えば、そうやってわかった事
というのは、とても大切で一生忘れないということ、
そして、それを何千回も何万回も行うことで自然に身につき
そして再びまつげの様に、特に意識せずに使うことが
出来るようになるといいます。

 私もスランプの時(といってもいつもスランプですが)
毎晩、睡眠時間を削って何千回も素振りをしてわかった事は
すごく基本的な、一番初心者の時に習った
「左手の小指は締めること」
が如何に大切かということでした。
こんな簡単なことがわかっていながら、多くのほかの部分を
治そうとした時に一番影響する大切なことだったんです。

 もちろん、常に傍らに先生がいて「ほら、ここはこうだよ」
と懇切丁寧に教えてくれたとしても、その感覚と言うのは
やはり自分で発見して、繰り返し鍛錬して覚えるしかないのですね。

そして、これを子供の頃から洞察力と思考力に長け、
自然に感覚で体得して、それを何度も自然に繰り返して
知らないうちに努力してきた人を、おそらく「天才」
というのでしょう。

 しかし、どんな天才でも、努力がなければ、
また多くの人に追い越されてしまうのも、また修行の道の
厳しいところだと思います。いわんや、凡人であれば
またなおさらの事です。