第126号 「会話を楽しむ」

 友人、職場の仲間、恋人同士の間にも、意思の疎通の為には必ず会話があります。
もちろん夫婦の場合は付き合いが長くなれば阿吽の呼吸で分かり合えることも
多くなりますから、逆に会話が減ってくるなんて事もあるでしょう。

 しかし、会話には意思の疎通以外にもうひとつ、楽しむ会話があります。
実はこの会話を楽しめる相手こそが、友人であり、よいパートナーであると思うのです。
もちろん、あまり話をしない無口な人も、言わない分それだけ考えている事も
たくさんあるはずですから、無理をせずにそういう人の話を引き出して
あげるのも楽しいことだと思います。

 ただし、難しいところは、パーティーなどで大人数で話す時などを
除いて二人での会話においては、どちらかが一方的に盛り上がっても
楽しい会話にはならないという事です。

 楽しい席で悩みの相談をしたり、真剣な話し合い時にふざけたり
というのは問題外ですが、それ以外にも相手の質問にまったく違う
答えが返ってきたり、聞きたいことがあるのに、それを受け流したり
言葉を濁したりと言うのも、やはり上手な会話とは言えません。

 では全く違う興味を持つ相手と話をするときはどうでしょうか。
そういう相手とは全く話をしない、という人を除いて、
常識的なマナーが理解できる人であっても、当然、誰もが気を
使うことには変わりありません。ここでは、自分のわからないことに対して
質問をしたり、話の中で何らかの共通の話題を見つけて話をしたりという
もうひとつ上のテクニックが求められます。

 聞き上手は話し上手と言われるように、相手に会話を楽しいと
思わせる人は、相手の話を引き出すのは実に上手です。

 さて、剣道にも会話が求められます。じっくりと構えて
そこから技を出したい人、絶え間なく動いて相手を打ちたい人、
色々と試して自分の研究をしたい人、とにかく勝ちたい人
色々な人がいます。もちろん、年齢や経験年数などによって違いますし
剣道に何を求めているかによっても違います。

 しかし、相手がどんな剣道をしたいか、それに合わせるのは
初心者の内はとても難しい事です。ですから、上級の者が少し合わせて
あげる必要があります。いわば、大人と子供の会話です。

 だんだん力がついてくれば、相手の隙をみて、フェイントをかけたり
よけながら打ったり、色々なことをして相手に打ち込もうとします。
ここには、相手より自分が優位に立とうとする会話が成立します。
反抗期の思春期の子供がよくするような会話です。

 しかし、それ以上になると、相手との会話において
もっと多くの事が要求されます。相手に対して正面から議論する
事を要求されます。押し引きや駆け引きの中で、相手の好きに
一気に攻め込んだり、いかに相手に突っ込ませないかも
要求されます。

 さらには、正面から相手と向き合って、正論で話し合い
そして人の心を打つことが要求されます。偉い先生方になれば、
おそらくもっと違う会話がなされるのでしょう。目の前に立っただけで
会話が無くとも相手が納得する、みたいな。

 この会話は剣先での会話の様に、行くか行かないか、どう攻めるか
という駆け引きの会話だけではない、自分の心と相手の心の会話です。
自分の心がどう相手に通じるかという会話でもあります。

 いつでも真剣に稽古をすることには変わりませんが、
例えば相手が自分のレベルを見て、「じゃあこういう稽古をましょうか」
と剣先を通じて話をしているのに、こちらが自分勝手に隙があったら
ひたすら打って行くような稽古をしては会話が成立しません。

 逆に相手が緊張感みなぎる張り詰めた稽古を仕掛けてきているのに
剣の中心をはずして、全ての打突をただ受けるような稽古をしたり、
お互いに正面からのケレン味の無い先の技(せんのわざ、相手の心の隙に
自分から打っていく技)で勝負しようとしているのに、
フェイントを掛けたり、自分が打たれないような体制から打ったり...。

 また、お互いに距離をとって、同じところから勝負しましょう
と言っているのに、自分勝手に近づいてきて、近いところから
ただポンポンと叩くような稽古をしては、相手との会話が
成立したことにはなりません。

 逆に、こういった会話ができる相手と稽古ができるのは
本当に剣道の楽しみの一つでありますし、こういう相手や先生方と
稽古ができるからこそ、また厳しい稽古も末く楽しく続けていくことが
できるのだと思います。

第125号 「返信」

 今回もぜんぜん剣道に関係ない、ある方のブログに
紹介されていた記事と文章がすばらしかったのでご紹介します。


http://d.hatena.ne.jp/tictac/20120110/p1
                                                                                               
さて、この問いと答えは、学業以外にもいろいろな事に当てはまるのですが
当然、剣道にも当てはまります。
そこで、このやりとりを勝手に書き換えた
「剣道バージョン」を作ってみました。

************************************************ 

剣道バージョン


■僕は自分が思っていたほどは剣道がうまくなかった

 僕はいま高校の最終学年で、次の3月に卒業する予定です。
高校の剣道部での席次は、いままでずっと団体チームのレギュラーを
取りつづけていましたが、去年始めてレギュラーから外れてしまいました。

 もしそのレギュラー落ちがなければ、主将に選ばれていたでしょう。
主将にふさわしいのは自分だ、つまりクラブで本当に一番強いのは
自分だと思いたいです。でもこの一年で、僕にそれほどの実力はないし、
僕より剣道の上手な人はたくさんいるんだということを思い知らされました。

 また僕は、自分の剣道について、少なくとも自分自身に対して
嘘をついているところがあります。
自分の実績からレギュラーのポジションが
ひとつ盗まれちゃったんだということにして、
自分自身を納得させようとしているんです。

 でも心の奥では分かっています。あの結果は、
僕への正当な評価だということを。あれ以外にも、
他のいくつかの試合の結果でレギュラー落ちをもらってしかるべきでした。
どうにかそれは避けられたわけですが。

 最近、昇段審査を受けたら不合格でした。
ただ単に怠けていたからこの結果だけど、本気を出したら
全然昇段審査は受かるはずと考えました。
なので、その後もう一度受けてみました。
よく出来た感触はありましたが、
結果は前回より少しよくなったと言われただけでした。

 昔は、自分は剣道推薦で大学に行けるものだと
いつも思っていました。
でも、その可能性はゼロに等しいんだという
厳しい現実が明らかになってしまいました。
たぶん親元を離れずに地元のつまらない大学に
いくことになるんだろう、
と今になって悟りました。あぁ。

 あーそれに、僕の趣味といえば剣道だけなんです。
デートとかも全くしてないし。車の免許さえ持ってない。終わってる。
まぁ、これはぼくの試合結果とはなんの関係もないことですが。。。
ただの愚痴です。


対する返信。


 どうも、遅れてすいません。新年を祝うのに忙しくて(笑)。
君がまだこのスレをみているとよいのですが。

 さて。私はちょっとユニークな視点を持っていると思います。
私は、剣道をいままで様々な視点で見てきました。一個人として、
学生として、社会人として、そして今は有望な学生と剣を交える先輩として。

 君が剣道推薦に触れているのをみて私は、
ちょっと時間をかけていい返信をすべきだなと思いました。

剣道推薦に関する標準的なアドバイスから書き始めるつもりでした。
(例えば、部内での順位は大した問題じゃないよ、とか。)
そんなアドバイスもありでしょう。しかし君の抱えている問題は
入試云々よりも遥かに大きなものです。
君が遭遇しているのと同じ問題に同級生たちがぶつかるのを
私は何度となくみてきました。
もし昔の記憶をここに再現できるなら、新入生の頃の私を君にみせてあげたい。

 私は意気揚々と大学の寮に引っ越してきました。
とりあえず大学に剣道推薦で入学したのです。
加えて、高校の時に一年生としてすでに合宿に参加していました。
つまり一年にして二年生のレギュラー候補から始めることができたのです。
新人戦も簡単に優勝できて、私は自分の決断に満足でした。

 時間が経ち、壁にぶち当たりました。私は高校時代
それほどよい生徒ではありませんでした。
試合に負ければ、適当ないいわけをしたものです。
そんなものどうでもいいとか、忙しすぎたとか、やる気がでないとか、
(そしてたいていの場合には)他にやるべきことがあったからだなどと言って。
いい試合結果が出れば、エゴが満たされました。
自分はちょっとやる気がないだけで、他の誰よりも実力があるんだと思えました。

 しかしいまや、そんな考え方は通用しませんでした。
私はそれまで剣道を全く見くびっていたのです。ほんとうに惨めな気持ちでした。
幸運なことに、私のとなりの部屋にはRという賢いやつが住んでいました。
Rは、控えめに言っても、優秀な学生剣士でした。
彼は2年生でしたが、過酷な部内選抜を勝ち抜いて既に大学の団体戦の
選手でした。

 彼は大学に来て、新人戦、定期交流戦、全関東、全日本学生選手権、 
部内試合、そしてその他多くの試合でもよい結果を残しました。
そしてなにより、彼は魅力的で、やる気があって、社交的でした。
人間なら1つや2つあるだろう欠点もこれといってありませんでした。

 面が打てないスランプに半学期悩まされたあと、プライドを捨ててようやく
Rのところへ助けを求めに行きました。
確か彼は私の試合や稽古のDVDを一晩借りてチェックして
(彼は僕の小学3年生からの全ての稽古を見ているわけではない)、
その後、私の問題点をひとつひとつ丁寧に解説して教えてくれました。
その結果、学期末に私はなんとかレギュラー候補となり、
試合に向けた稽古をすることを許されました。

 ここでひとつ大切なことがあります。それは、彼が教えてくれたことの中に
才能がなければできないことなどひとつもなかったということです。
彼のことを知るにつけ分かったことは、彼の強さと実績のほとんどは、
まさに稽古と鍛錬によってもたらされているということでした。

 そして、必要に応じて学んで稽古をした知性の道具や技術の道具を
蓄積した結果として、彼の大きな剣道があるのだと知りました。
彼は必殺技をいくつか見せてくれましたが、私にとっての本当の収穫は、
自分独自の剣道をどうやって探して、つくって、改良するかという方法を
理解したことでした。

 Rに憧れ、尊敬をしていました。私は、彼のずば抜けた能力と
張り合えるようには一生なれないだろうと思うと同時に、その原因が
なんだかも分かっていました。
私と彼を比較すれば、私は信念に欠如しており、彼は信念にあふれている
ということです。遺伝子の偶然などということではなく。

「身体能力がいい」ことが成績の良し悪しを決めるのだと言って
自分自身を欺くのは簡単なことです。
とても多くの場合で、これはあり得るなかで最も安易な説明です。
なぜなら、これを認めれば努力をする必要もありませんし、
自分の失敗をただちに正当化してくれるからです。

 君はいま気づかずにこの罠にはまろうとしています。
君は最初の2段落では自分の知性を問題としていますが、
続けて、自分にはふさわしくない良い結果を出したと言って卑下していますね。
やる気のなさが、剣道推薦に受からないことの要因だとは君は思っていますが、
審査に落ちた要因とは思っていないようですね。
(おもしろい事実:審査の結果と最も相関の高い変数は試合のために
費やした稽古時間です。)
君のこの最後の一文は、投稿した文章全体にもあてはまってしまうでしょう。

> まぁ、これはぼくの試合結果とはなんの関係もないことですが。。。ただの愚痴です。

 君がレギュラーになれたのは、君がまじめに稽古をしたか、
あるいはクラブの仲間が弱かったからです。
君がレギュラーを落ちたのは、おそらく、どうやって扱ったらいいのか
分からない相手や、そう簡単には一本をくれないような相手との勝負を
すぐ引き分けにしてしまうのに慣れすぎたからだと思います。

 思うに、君は早いうちに試合勘と早い動きに頼る剣風をつくり上げて、
新しい相手の得意技を見つけたり対処したりということを素早くできるように
なったのです。でも、あまりにもそれに頼り過ぎてしまって、それだけでは
対処できない事態に必要となる、ちゃんとした攻める剣道を
全く発達させなかったのです。私がそうでした。

 でも、大学一年の一学期に壁にぶつかるまでは
それに気づきませんでした。
君に質問があります。だれか今までに時間をかけて
稽古の仕方を教えてくれた人はいますか?
それとは別に、先生や先輩のアドバイスなしで自分自身で
稽古する方法を君は学んだことがありますか?
これらは習得することのできる最も重要な稽古です。

 なぜなら、この稽古を通じて、さらに強力で
さらに遠くを見通すことのできる剣道をつくることができるからです。
それがだた雪だるま式に大きくなることで、Rのようなひとになるのです。

 大学卒業時の部員の剣道の継続希望率は97%です。
つまり入部したほとんどの人が社会人になっても
稽古をしたいと思っています。
3%の剣道をやめてしまう人とその他の剣道を続ける人を
分けるものがなんだか分かりますか?私には分かります。
私は何回もそれをみてきましたし、
私自身危うく審査にすら合格できないところでした。
大学の4年間を、同期に顔を忘れられてしまうほど
稽古をサボって過ごす人はほとんどいません。
実際、そういう人を一人もすぐには思い出すことができません。

 大学を卒業する時に剣道を辞めてしまう人というのは、
当然仕事の都合もありますが、
入学して、いままでに経験したなによりも難しい問題に遭遇し、
助けを求める方法も問題と格闘する方法も知らないために
燃え尽きてしまうのです。
うまくやる学生はそういう困難にぶつかったとき、
自分の力不足と馬鹿さ加減に滅入る気持ちと闘い、
山のふもとで小さな歩みを始めます。

彼らは、プライドに傷がつくことは、山頂からの景色を眺めるためであれば
取るに足らないということを知っているのです。
彼らは、自分が力不足であると分かっているので助けを求めます。
彼らは技術の欠如ではなく、やる気の欠如が問題だと考えます。
私は、やる気をみつける方法を教えてくれる人と出会えて幸運でした。
インターネット上でできることは小さなものですが、
私があなたに対してその役割を果たすことが出来ればと願っています。

 私は大学一年目の挫折から立ち直り、稽古がとてもうまくいくようになり、
同級生、下級生のコーチの補佐を務めるまでになりました。
4年生のときには、道場で新入生の横に座り、私がかつて
先輩から教えてもらったことと同じことを教えたものでした。
そして彼らが、かつての私が抱いたものと同じ感情と闘い、
それを克服するのをみてきました。大学を卒業するまでに私は、
入学時に尊敬していた人になっていたのです。

 君はとても若い。自分の剣道があんまり良くないのでは
などと悩むには本当に若すぎる。
年をうんととって歩けなくなるまでは、
「剣道が上手く」なるチャンスはあるのです。
括弧付きで言ってみたのは、「剣道が上手い」というのは単に、
「とても多くの時間と汗を費やしたので、
難なくやっているようにみえるまでになった」
ということを言い換えているに過ぎないからです。

 君は、自分は燃え尽きてしまった、
あるいは、燃え尽きてしまうかどうかの
岐路に立っているという風に感じています。

 でも実際には、燃え尽きることにするかしないかを
決断する岐路に立っているのです。
これが決断であるということを認めるのは怖いことです。
なぜならそれは、君にはなにかをする責任が
あるということですから。
でも、それは力が湧いてくる考え方でもあります。
君にできるなにかがあるということですから。

 さぁ、やってごらん。


(ソース http://d.hatena.ne.jp/tictac/20120110/p1)
  
*************************************************

第124号 「手段と目的」

 子供が剣道を習い始めるきっかけと言うのは様々です。
「近所に道場があった」「友達の子どもや兄弟がやっていた。」
「親に勧められた」などですが、これらの要因を含めて、
最終的に本人が
「剣道かあ、なんかカッコ良さそうだな」
と思った時が、剣道の入門をする時です。
(ただし、親が剣道をしている場合は、いつの間にか
道場に入門していた、という場合が多いと思います。)

 と、この辺までは他のスポーツとあまり変わりありません。
しかし「親の勧め」について、パースでの学習者の状況を鑑みると、
主に3つの親のグループ、

1.国籍は関係なく、剣道の経験者である親
2.日本人の親、もしくは日本の文化をよく理解している
  日本人以外の(例えばオーストラリア人)の親
3.日本の文化背景を良く知らない日本人以外の親

に大きく分けることができます。

 日本には武士の文化があり「剣道=武士」という
イメージが大変強いことには変わりありませんが、
「剣道では礼儀に厳しい」というパブリックイメージが
他の武道に比べてことさら大きいのこともこのことからです。

 こちらの方に武道を子供に習わせる理由を聞くと
「discipline(規律、自制心)」と答える方が多いの
ですが子供を剣道クラブに入れようとする目的は
剣道や日本の文化についてあまり知識のない
オーストラリア人の親であれば、まず「剣道という
競技を体験すること」が、まず第一の目的で、
それを通じて「礼儀と相手を尊ぶ心、精神的な強さを
学ぶこと」第二の目的となります。

 それは、日本の武道を考えた場合、柔道や空手に比べて、
剣道という武道自体がマイナーなスポーツであるからです。
 
 しかし、保護者が日本人の場合は、剣道の稽古やの様子に
対して漠然とながらも具体的なイメージがあり
「礼儀と相手を尊ぶ心、精神的な強さを学ぶことの手段」
として、剣道を学ばせることを選択する、という傾向が
強いと思います。

 もちろん、保護者が剣道の経験者である場合は
剣道とは礼儀と相手を尊ぶ心、精神的な強さを学ぶ
ものであると言う大前提があって、その上で剣道の
すばらしさや楽しさを体験を共有したい、という
考え方の場合がほとんどではないかと思います。

 個人的な考えを言わせて頂ければ、こちらでの習い事は
「やってみて駄目だったすぐに辞めさせる」
「とりあえず経験させて、楽しかったら続けさせる」
と言う家庭が非常に多くある様に感じます。また、放課後の
習い事の数がとても多い家庭が多い事も事実です。

 それはそれで、決して悪いことでは無いと思います。子供に
沢山の経験の機会を与えて、その中から自分にあったものを
見つけるというのは、すばらしいと思います。

 しかし、剣道は、生涯続けていくことのできるスポーツです。
剣道を通じて得ることというのは学習者の年齢や
剣技の成熟度によって違います。 剣道が生涯スポーツと
いわれる様に、70歳、80歳を超えても剣道愛して止まない
人々がおり、継続していくことができるのはその為です。

 小生自身も、一度剣道の稽古を10年以上中断しており、
それでも剣道に対する気持ちはずっと変わらなかったと思います。
逆に、剣道を再開してからの方が、より多くの事を考え、
学んだのではないかと思っています。まさに、剣道が
「心で戦う」道であるからです。追い求めても得られぬ
厳しい遠い道のりだからこそ、楽しいのかもしれません。

 そして、剣道を習う場所は、それが体育館でも屋外でも
「道場」です。道を修行する場所なのです。だから、時には
辛く厳しい事もあるのは当然です。その中で、自分が成長していく
楽しみ、友達と競い合ったり、交流したりする楽しみ、そして
生涯追い求めてゆける道があるということを、剣道を通じて
子供達に知ってもらいたいと思っています。

第123号 「赤心」

 今回で3回目のお正月を迎えたパース桜剣道クラブ通信ですが
日本での昨年の言葉は「絆」でしたね。未曾有の大震災や
それに伴う様々な事故や問題、様々な出来事を通じて
本当の人の絆とは何かと言うのを、心から考えさせられた年で
ありました。

 先日、ふと頭の中に突如として浮かんだ言葉があります。
「赤心」(せきしん)と言う言葉です。赤子の様に包み隠さない真心、
と言う意味です

 後漢王朝の皇帝で中国を統一した光武帝が、まだ皇帝になる前、
わずかな反乱軍を率いて戦っていた時のことです。
 ある戦で、相手を破りその降伏し投降してきた相手の大軍の兵士の
前に、明日からは自分の軍に編入させると言って、少しの供と、
軽装備で馬に乗って現れました。
 それを見た敵方の降伏した兵士達は「これだけの誠意を
見せて下さるんだ。こんな将軍の為ならいつ死んでもかまわない。」
(赤心を推して人の腹中に置く。いずくんぞ死に投ぜざるを得んや)
と話したという故事があります。

 この故事から「赤心を推して人の腹中に置く」(真心を持って
人に接し、疑わずにわけ隔てなく付き合うと言う)ということわざが作られ、
その中から赤心という言葉だけを抜粋して使う様になりました。
 また次第に意味が転じて「人を信じて疑わないこと。」として
使われることもあります。

 さておき、自らの誠意を見せれば相手も誠意を見せてくれると
思い込むのは、残念ながら現在の社会、特に国際政治の場では、
あまりにも愚かしい行為と言われる様になってしまいました。

 計略を張り巡らせ、あらゆる手を尽くして、その上で「もうここまで
やったんだから、お互いに誠意を見せよう」と言うのであればまだしも、
相手の誠意を利用しようと考えている人たちも大勢いる中での無知な
「誠意」は単なる世間知らずと見られ、大いに利用されてしまいます。

 しかし、それでも常に誠意を持って事に望むのはとても大切な事だと
思います。誠意とは「人を思いやる心」そして後一つ大切なのは「品格」
と何かを成し遂げようとする「強い意志」であります。

 勝負には、負けてよい勝負はありません。他のスポーツや政治経済に
おいても、外国ではもっと露骨に闘志をむき出してきますから、
仮に、勝つことが全てという国との勝負であれば、当方の意を通して
利を得る為には、相手を徹底的に叩き伏せなければならないこともあります。v

 勝負では相手に頭を下げれば勝てることなどは万が一にもありません。
しかし、「自分さえ勝てばよい」「何をしても勝てばよい」こんな気持ちでは、
勝ったところで、その人には何も残るものはありません。
剣道でも、最も戒められる所です。

 剣道の一本は誠心誠意の一本です。相手にも見ている人にも、この一本に
誠意が無いと見られた場合、この勝ちは人の心を打ちません。
旗が上がれば、試合の結果としては良くても、そこには大きな意味での
勝利は無いと思います。それは、誠意ある一本というのが、純粋に失敗を恐れず、
ただ一太刀自分の目的を貫こうとする強い意志の現われだからです。

 相手のユニフォームを引っ張ったり、わざと怪我をしたふりをしたり、
品位の無い小ずるがしこさが必要とされる他のスポーツのゲームの中でさえ、
気合のこもった誠心誠意の技が得点に結びつく時は、どのチームのファンも
関係なく、やはり多くの人々の心を揺さぶります。

 その為には「自分はどうあるべきか、何をしなければならないか。」
と言うことを、常に気持ちの上に置いて稽古し、生活に生かすべき
ではないでしょうか。
 そうすれば、自ずと心も通じ合えるのではないかと信じております。

 本年は「赤心」を持って事に臨みたいと思います。
と、新年早々大きなことを言ってしまって今からとても不安ですが、
どうぞ、本年も宜しくお願い申し上げます。