第110号 「火」

 パースでも、薪を使う暖炉のある家が多くあります。
都会では少しづつ少なくなりつつありますが、寒い地方の
田舎のコテージなんかに行くと、今でも多くが薪を使う
暖炉です。新しいタイプの家庭用のものは、ガスで点火
しますが、通常の古いものは焚き火と同じです。

 焚き火同様、薪に火をつけるのは、マッチがあれば
そんなに難しくはありませんが、やはり少しはコツが要ります。

 最初は枯れ葉や紙くずで小さな火をおこし、小さな枝を
加えてだんだん火力を強くしていきます。
 火が強くなって、温度が上がると、少し小さめの薪、
さらに大きな薪を追加していきます。

 ただし、ちゃんと空気が入るように、置き方を考えなければ
なりません。また、一気に燃え上がりすぎて、うっかり薪を
きらしてしまうこともありますし、炭になって燃えているから
といって、そのまま放置しておくと、いつの間にか火が消えて
いることもあります。

 だから、常に油断なく気配りをしておくことで、健全で
良い火を保つことが出来るのです。

 電気ではなく火の温もりと言うのは、なんとなく良いものです。
隅々まで照らす明かりではなく、必ず影ができる。また、常に炎も
ゆらゆらと揺れ動いています。その影の出来るところや、常に変化
するところが、また良いのです。陰影礼賛といったところです。

 では、いつものように(笑)、これを剣道に置き換えてみましょう。

 新しい技術にはなんでもコツがあります。最初はゆっくり、少しづつ。
できるようになったら、スピードを上げて練習量を増やします。

 ただし、その技がちゃんと実戦で使えるように、技を出す機会を
考えなければなりません。また、その技術にこだわりすぎて
うっかりと肝心な「心」の方を忘れてしまうこともあります。
当たるからと言って、小手先の技ばかりに頼っていると、
いつの間にか、打たれることを恐れずに、まっすぐ大きく飛び
込んで打つ、と言うことを忘れてしまうことがあります。

 だから、常に油断なく気配りをしておくことで、よい技
と心を使った稽古ができるのです。

 心で戦う稽古というのはいいものです。あえて自分から仕掛ければ
打たれる事だってある。そう言ったところが、また良いと思います。

第109号 「雨だれ」

 パースの冬は雨の多い季節です。老朽化した我が家も
雨漏りが激しく、休みの日が晴れると、屋根に登ったり
天井裏をチェックしたりと、なにかと余計なことに時間を
とられてしまったりします。

 さて、雨だれと言えば、落ちてくる雨垂れを斬る、
なーんて稽古の方法が小説などでよくありますが
予想もつかない雨垂れ反応するのは、要するに動体視力
のトレーニングであります。これはこれで、一つの
方法だとは思いますが、雨垂れと言って思い出すのは
ある先生が昔おっしゃっていた事です。

 剣道というのは、雨垂れをつかもうとするのではなく
雨垂れを手で受け止めるのだと。

 で、その意味はと申しますと...。

 いつ落ちてくるかわからない物は、勘や体の反応でしか
対処することはできない。でも、落ちてくる、ということさえ
わかれば、あとはその準備をしておくだけだと。つまり、
相手を、打ち込んでくるしかない状況に追い込むことだ、
つまりは、追い込んで追い込んで、相手が苦しくなって
こちらに打ち込んできたところを、討ち取る。

 ということだそうです。そんなことできるか!
といつも通り心の中ではさけんでいますが、要するに
追い込み漁と同じなんですね。追い込んで追い込んで
でも、一箇所に出口を作っておけば、そこに行く。
そこを捕まえる。

 ただし、強い相手だと、捕まえに行ったところを
パクッとやられる可能性も相当大きいですが(笑)

 さて、剣道から少し離れてみると、雨垂れは
不規則なところが実にいい。もちろん、家の中での
天井からの雨垂れは遠慮願いたいが、外で瀟々とした雨音に
混じって、時折水や木の葉を打つような音が聞こえるのは
なかなか風流なものです。

 昼間の雨は不便なものですが、それでも時々
雨音なんてつまらないものに耳を傾けるのも、
悪くないのではないでしょうか。

第108号 「試し斬り」

 試し斬りという言葉、大体の方が聞いたことがおありだと思います。
刀の切れ味や、腕前を試す為に、何かを刀で斬ってみることです。

 竹刀も木刀も、所詮は刀の代わりです。ですから、本当に刀を
振る感覚を知りたければ、やはり刀で練習することが必要でしょう。

 居合道という武道があります。木刀や竹刀ではなく、日本刀を使って、
いかに鞘から速く正確に刀を抜き、敵に対して斬る動作ができるか、
という技術を練習するもので、戦後に全日本剣道連盟により諸処の
古い流派の技術を集め、再編成して制定居合と呼ばれる十本の型が
作られました。

 ただし、居合は実際に誰かと相対して稽古をすることはありません。
昔の剣術では、刃引きといって刃を落とした日本刀で形を稽古する
こともありましたが、当然間違えば大怪我か死ぬこともあり、本当に
相手と日本刀で斬り合って稽古する訳にもいかないので、居合は
仮想の敵と戦う一人稽古です。

 さて、これ以外に抜刀術と呼ばれる稽古方法があります。内容は
主に二つ。立居合と呼ばれる、立ったままで行う一人稽古。
(居合は基本的にはまず、座った動作から敵を制する事から始まります。
また、立居合いは旧陸軍学校での刀方を基礎としている流派も多くあります。)
 そして、もうひとつは実際に物を斬る事です。畳表を巻いたもの、
竹、巻き藁などが主なターゲットになります。

 よくテレビなどで、すごい試し斬りの名人の技を見ますよね。
鉄板や吊るした大きい骨付きの肉とか、皆さん本当にすばらしい技術です。
 最近は、抜き打ちでピッチングマシンから飛んでくる野球のボール
どころか、飛んでくるBB弾まで抜き打ちで斬る方が有名ですが、
彼の技術は本当に「神業」です。修練の賜物ですね。

 昔見たことがあるテレビ番組で印象的だったのは、「兜割り」
に挑むと言うものです。昔から多くの剣術の達人が兜割り、つまり、
あの鎧兜の丈夫な鉄兜にどれだけ斬り込めるかを競った技術に
挑戦された方がいらっしゃいます。
 
 もちろん、漫画じゃありませんから、昔だって真っ二つにできた
人はいませんが、話では何寸まで斬り込んだかを競ったと言われています。
 ただし普通、兜はドーム型で、普通に斬り込むと、
まずは刀が折れるか弾き飛ばされるかどちらかですから、これも
人並みではない技術がです。

 これを、斬り手の方は厚重ねの刀で再現していました。この方も
普段から太い何キロもある棒を振って鍛錬をしており、太い竹を
片手でズバズバ斬ってましたから、相当の技術の持ち主です。
時間をかけて準備して本番でも、確かすばらしい結果を残されたと
記憶しています。
 
 さてさて、それでは試し切りをするのが、剣の一番の修練
でしょうか。そう、答えは否です。何しろ、巻き藁は襲ってきません
からね。これは、あくまでも「斬る」という技術で「戦う」
という技術の一部分なのです。

 しかし、今となっては刀を使うことの意義すら薄れてしまう
事も多いので、こういう稽古も悪くはないのではないでしょうか。
 自分の知らない物を完全に否定するのではなく、色々な良い
部分を吸収していくことが、一番大切なことなのだと思います。

第107号 「折れる心」

 人の心は弱いものです。強そうに見えて、いとも簡単に折れて
しまいます。それは、強い心をもっていればいるほど、ある時に
突然何かのきっかけで意外と簡単に折れてしまうのかもしれません。

 しかし、折れなければ、それは本当の心ではありません。折れて
しまう心だからこそ、人のつらさや苦しみがわかるのではないでしょうか。
一度も失敗した事がないと言い張る人に、失敗した人の気持ちは
わかるでしょうか。

 そして、折れることを知っているからこそ、何度でも立ち上がる
事ができるのはないでしょうか。時には時間がかかることもあります。
 自分ではどうにもならない時もあります。でも、その時に出来る
事をしてみる。そして、考え方を変えてみる。いつか道は、開ける
はずです。
 
 そして、自分で満足できる結果ではなかったとしても、懸命に
努力したのであれば、その過程から学ぶことは多いと思います。

 では、結果がでないのであれば、一体何の為に努力したのか。
それは、これから挑戦する若い後輩達や、子供たちに伝えていく為です。
「自分では、ここが良かった、でもこれは良くなかった。
それを参考にして、あとはがんばってみろ」
 私たちはそうやって、先生方や諸先輩方、時には同輩や後輩からも
多くの事を学びました。

 そして、心が折れた時は、所詮他人にはわからない、なんて
自分の殻に閉じこもらず、色々な人の事を見聞きして、それから
考えるのも決して悪い事ではないと思います。

 で、それが剣道にどう関係があるかというと、それはまったく
同じ事です。

 剣道は、どちらかというと、うまくいかない事の方が多いです。
それを、がっかりしないで、次はこうしてみよう、ああしてみよう
どうしてもうまくいかなかったら、考え方を変えてみよう。

 剣道の修練のゴールはありません。それはすべて自分で
決めることです。例えば、試合に勝てないからもう終わり。と思えば
それでおしまいです。

 けれども、試合ではいい結果がでなかったけれど、もっと
自分の追い求めるものがある。自分は強くはないけれど、それでも、
自分の弱い心に負けない気持ちをつくりたい。いつか、自分で
納得がゆける技が出せるようになりたい。昨日よりは上手になりたい。
そう思えば永遠に終わりはありません。

 木の枝に傷がつくと、木はその部分をもっともっと太く強く修復
しようとします。人間の筋肉も骨も同じです。
 だから、同じように、きっと折れた心も、傷がいえた時には
もっともっと強くなって立ち直るはずです。

 子供たちにも、彼等ががっかりした時は、きっとその日が来る事を
忘れないで欲しいと思います。