第78回 合気

 「合気」という言葉はみなさんも聞いたことがあると思います。
合気道の中で「合気」という言葉が使われる為に、あまりご存知ない
方は、「触らずして相手を吹っ飛ばす事」など勘違いをされている
方もいらっしゃると思いますが、意味が違います。

 実は剣道でも「合気」というのは大切なことなのです。
相撲では「はっきよい!」で立会いが始まりますが
あれも双方が、いわゆる合気になったところで、
お互いに同時に踏み切ります。

 行事がいうところの「はっきよい」、つまり「発気揚々」、
気を充分に高めてという事であります。一説には「はっ競えやっ」
(早く競えや)という語源だとも言われていますが、ここで競い合う
気持ちを同時に高めて当たる事には変わりありません。
 これが合気だと考えております。これは剣道の合気に
近いものがあります。

 これは先日、私が地元のクラブで、ある方に稽古をお願い
した時の話です。この方はとても強い方で数年前に個人で
全国優勝をされた方です。

 この方と稽古をしている時、例えば私がの打突が、たまに
小手や胴を打ったりして、確かにいいタイミングで打突部位に
当たるときもあります。
 例えば、相手が面に来ると思ったら、かわして胴を抜けば
いいですし、動かなければ飛び込んで小手を打てばいいんです。
相手の竹刀を超えるように、上から手だけ伸ばしても、相手に
竹刀が当たることだってあります。

 でも、このような相手との稽古において、遠くから飛び込んだり
待っていて技を返して一本取るのような技をたまーに出すときは、
実はお互いに、相手の心を動かそうとして、つまり、動揺させたり、
焦らせたりして相手の心を読みやすくするべく、こういう技を
出しているのです。もちろん、試合だったら旗が上がるような
ちゃんとした打突です。でも、それはその稽古において自分の
求めている一本ではないのです。

 今の我々のレベルで、お互いに目指しているのは、双方に心が
充実して、打ち込む気合充分で、「ここ」という逃せない機会が
互いにあり、そこで二人が正面からぶつかり合って、紙一重で
一本取るか取られたかということです。

 この「ここぞ」というタイミングは相手の来るのを待って
意識して作ったり迎えたりするのではない、自然な意識のぶつかり
合いの事で、「いくぞ」の「い」の出る直前の機会のことです。
この機会こそ、双方が「合気」になる瞬間なのです。
(ちなみに合気道では、この瞬間に相手の力の方向性を変えたり
力を出させないようにして相手を崩すそうですが、最終的には
どの武道でも同じような理論に行き着くと思います。)

 例えば私の未熟で、合気になれず、つまり、相手がパッと攻めて
きた時に、自分が気持ちで反応できなくて、下がって打ち込みを
避けてしまったり、竹刀で受けてしまう時があります。
それは自分の大きな反省という訳です。また、相手の竹刀が
自分に当たらなくても、その時に一瞬「しまった」と思ったり
「打たなきゃ打たれる」と思って竹刀を動かしたら自分の負け
だと考えています。

 また先生に掛かって行く時は、当然心の隙は見えませんから、
一体どうしたらそれが出来るかということを課題に掛かります。
焦って打ち込むと、打ち込みを返されたり突かれたりします。

 逆に若い人の試合などでは、わざと合気にならずにタイミングを
はずしたり、いなしたり、先制攻撃することもありますが、それは
それでとても大事なことです。しかし、基本的に上のレベルを目指す
場合は、普段の稽古においては「合気」という部分を意識して、
稽古をして行かなければならないと思っています。

 と、未熟者の分際で偉そうな事を書いてしまいましたが、こんな
調子ですから、この方と互いに互角稽古(地稽古)が始まると、
全然終わらず後ろで順番を待ってくれている人も
「え?あれ当たったのに何で?」
「え?まだ一本取ったんじゃないの?」
と、段々イライラして、最後には
「お前らいいかげんにしろ」
という顔になってくるので、その時は慌てて早々に切り上げます。(笑)

 しかし、他の色々な方々ともそういう稽古が出来るということは
非常にありがたい事だと思っています。

第77回 黙想

 剣道では稽古の前と後に黙想をします。「姿勢を正して、黙想!」
という掛け声で、全員が目を閉じて黙想をします。
 この時に手は臍の下くらい、いわゆる丹田の辺りで円を作ります。

 これは定印と言って、元は仏教の禅宗から来ているものです。
釈迦が悟りを開いた時の姿を現しているといい、また仏が
瞑想に入っていることをあらわします。仏と同じく座ることによって
悟りの世界に近づくという動作の意味があります。

 釈迦如来、大日如来(胎蔵界)の定印は左手の上に右手を重ねます。
しかし、元来は全て左手が下であったものが、仏教が中国に入ってきた
時に中国天台宗の祖である天台大師智顗が右手が下として以来、それが
日本に伝わり、それ以降は、禅宗などでは右手が下になったと言われて
います。

 剣道の精神の根本となる武士道は儒教がベースですが、「剣禅一如」
という言葉もあるくらい、剣の修行上の哲学は禅宗の影響を多大に受け
ているので、現在は右手の上に左手を重ねるようになりました。

 これは右手が仏界、左手が衆生界を表し、仏の心が人の煩悩を
支えているから、という意味もあるといいますが、私が子供のころには
右手は強い心。左手は弱い心。強い心が弱い心を支えると教わりました。
左手が利き手の右手を押さえて心を平成に保つ。という教えもあります。

 ここからは全く個人的な意見で恐縮なのですが、日本ではなぜか昔から
圧倒的に右利きが多数派です。右利きの人が手を重ねると、多くの場合は
自然に右手が下に来ます。つまるところ、自然にこうなっただけ。

 ですから、子供には右手が下と教えますが、本来は右手の上下にとらわ
れることなく、自然な円に近い、座って瞑想する形を作ることができれば
それで良いのではないかと思います。

第76回 言葉の問題

 剣道において、相手の打突部位に攻撃する場合、例えば「メン」と
はっきりと場所を表す言葉を一度だけ言います。もちろん、気合を
込めてです。

 しかし、これをこう言うとどういう印象を与えるでしょう。
「メン~ッ、メンだ、メンだ~っ!」
「コテ~ッ、コテコテコテコテコテコテコテコテコテ~ッ!」
「ドウだ~っ!ドウ一本だ~っ!」
めちゃくちゃアピールしてます。

 しかし、これが試合では注意される対象になることがあります。
アピールのしすぎは相手にとって失礼ということになります。
心の底から出た気合であっても、試合の為に審判に対しての
アピールになってはいけないという事です。

 ある先生のお話で、高段者の大会で「メン」と打った後に
気合入りすぎて、つい振りかえってもう一度「メンだ!」と気合を
かけたら、次の日その先生の先生に呼び出されて
「誠心誠意で打ったはずなのに、それをさらにひけらかすとは何事だ!」
と滅茶苦茶怒られたという話を聞いたことがあります。

 私も練習試合で、ついうっかり気合入りすぎて
「小手一本とったり~!」
とやってしまったら、後で審判をしていたH先生が来て
「ふふふ、あれ今度やったら合議にして一本取り消しますよ」と
笑われたことがあります。

 昔はあまりその点では厳格じゃない、というか、今の試合規則では
教育上の観点から禁止というだけで、お年を召した先生方でこういう
方は多くいらっしゃいました。

 私が学生の頃くらいまでも、かなりお年を召した先生方に
「メン一本なり~」「お突き一本取ったり~」
とこんな具合で、あれよあれよという間にこちらが手も足も
出なくなっていくまで追い詰められたものです。

 逆に言えば、長い間修行されてお年を召した先生は
もう技術も人格も「突き抜けて」いるので、細かい規則がどうだとか
そんなレベルではないがゆえに、許されるところが無きにしもあらず、
守破離の「離」ですから、そもそも、私たちが規則に当て嵌めて
あれこれ言うレベルではありません。

 ですが、つい気合が入りすぎてしまってうっかりしてしまった
時ならまだしも、腕前がないのに偉そうにこれをやると、確実に
笑いのネタになってしまうので、そこでアピールするのではなく
まずはやはり誠心誠意で腕を磨くことです。

第75回 帰る場所

 新年あけましておめでとうございます。日本の新年と言えば着物姿。
と思いきや、意外と着物姿が少なくてお驚きました。とはいえ、特に
女性は着付けるのも時間がかかるし、車や自転車での移動も多いです
から、お正月と言えども現代の生活の中では難しいかもしれませんね。

 それでも、着物姿で歩く女性を見ると
「やはり日本の正月はいいなあ」
と思います。もちろん、小生も元日は着物です。

 さて、先日、自分の子供たち共々、地元で子供の頃から剣道を習って
いた地元の剣道クラブの稽古に参加させて頂きました。
 自分の子供たちが、自分が子供の頃に教わっていた先生方に教わって
いる姿を見るのは、なんとも感慨深い物がありますが、さらに当時の
後輩のお子さんと自分の子供たちが稽古をしている姿を見るのもなんとも
不思議なものでした。
 同級生も稽古に来てくれて、非常にうれしい限りでした。当然、小生も
稽古では先生方にもしっかりと叩いて頂きました。(とほほ。)

 年末には、これまたかつてお世話になった兄弟道場の本年最後の
稽古にも顔を出させて頂き、先生方、先輩方そして、何者にも変えがたい
仲間と剣を交えさせて頂きました。本当にうれしい限りでした。

 ある先生が
「遠く離れていても、剣を愛する気持ちは同じ。がんばって下さい」
とおっしゃって下さいました。本当にうれしい限りです。多くの先生方も
沢山の暖かいお言葉をかけて下さいました。

 いつでも帰る場所があり、暖かく迎えて下さる人たちがいるというのは、
本当にうれしいものです。いつでも古い仲間と剣を交わす喜び、次に会う
までに一層精進をして戦いたいと思う楽しみ。
 本当に剣道に出会えてよかったと思います。また、最初に剣の道に導いて
くれた父に感謝します。

 明日は新年稽古です。筋肉痛が取れないうちに、強くて若い仲間たちと
剣を交わします。尊敬する先生にも稽古をお願いします。
 とっても楽しみですが、年末からの飲みっぱなし食いっぱなしの緩んだ
体でどこまでいけるか、もう今から必死です。(笑)

 それでは、本年もよろしくお願い申しあげます。