第68回 昔の歩き方

 最近の剣道を題材にした本で「武士道シックスティーン」という
映画にもなった青春小説があります。同じ学校の剣道クラブに入った二人の
対照的な女子高校生の話なのですが、このうちの主役の一人が日本舞踊を
やっていたことになっています。日本舞踊で習った動きがたまたま剣道で
役に立ったと言う話がでてきます。

 もちろん小説の話ですが、しかし、まるきりの作り話でも無いと思います。
動きの質は違いますが、通じるところも無きにしも非ずというところ
でしょう。
 また小説の中で膝に負担がかかるという話があったように、実際に女の子は
膝の故障を起こしやすいことも事実だそうですです。

さて、動きのポイントは、やはり膝と腰にあります。これはどのスポーツ
でも同じなのですが、体重を移動させるためには膝をその方向に動かさなくて
はなりません。

 これには二つの違った方法をとることができます。一つは軸足の膝から
地面に伝わった力の反動を利用して足を前に出し、腕を前に振ってバランス
をとりながら足のスピードを加速させる方法です。

 例えば短距離などで走る場合などは、力を抜いて腕を大きく早く振ることで
骨盤をスライドさせて振り子のように大きく膝を前に出すことが出来ます。
通常、ほとんどの人はこの歩き方です。

 しかし、もう一つの方法があります。体を回転させない、捻らない方法です。
足の筋肉で膝を前に押し出す代わりに、すっと片膝の力をぬくと重力のせいで
体が勝手に前にでる。力まずに体を前に出す方法です。どこにも余計な力が
かかっていないので正確に早く動けるということです。

 これは、実は私の先生に教わったことがありますが、私自身は、まだ稽古で
思うとおりにはできません。難しいです。それに若い人たちの試合では
遠くから飛び込んで打つ方が評価されるので、前者の方が若い人には
向いているでしょう。

 ところで、実際はこうした動き方と言うのが日本古来の動き方だそうです。
江戸時代までは、武道に限らず歩くときまで、この様な体の使い方が一般的では
なかったか、という説もあります。手をほとんど振らないか、右手右足を
同時に出す、いわゆる「なんば」という歩き方です。

 その理由の一つに、着物があるのではないかと思います。着物を着て一日
普通の生活してみると、そういう体の使い方の方が圧倒的に楽なのです。

 また、武士の場合は腰に刀を下げていますので、走るときは必ず刀を
押さえて走ります。両手を振ると、刀が揺れてかえって走れないからです。
ですから、職人だけは動きやすいように仕事中は股引きに筒袖という装いでした。

 武士階級は農工商に比べて人数が少なかったので、武士の作法が全ての
昔の人の作法と言ってしまうと、それは間違いかもしれませんが、少なくとも
武道は武士の動きや作法を受け継いでいるものです。

 現代の剣道では、現代人の動き、現在のルールに合わせた「競技」として見れば
あるいは現代的な体の使い方が有利なのかもしれません。しかし、礼法の中での
立ち振る舞いや、そのような日本古来の動き方に注目してみるのも剣道の一つの
楽しみだと思います。

第67回 丹田

 丹田(たんでん)と言う言葉を剣道以外で聞いたことがあるという方は、
おそらく空手か太極拳などの中国拳法を含む他の武道、もしくは気功法や
呼吸法、瞑想法などを勉強されている方だと思います。

 丹田と言うのは、元々は中国の道教で使われる言葉です。内丹術という
気を練り合わせて仙人になる術、つまり不老不死を得る方法において、
気を集める部位のひとつとされている部分です。

 お腹の中心より下の部分、いわゆる下っ腹にあたる部分です。どこなのか
矢印を書いて示せと言われればおへそのやや下になりますが、これは内臓の
この部分が、というものではなく、もう少し概念的なものであると考えて
いいでしょう。

 別の言い方であれば、体の縦横のバランスが最も安定するところである
という事です。ヨーガであれば「チャクラ」と呼ばれる気の通り道の一つ
にも似た形で考えられます。

 さて、剣道では「腹を意識して」と言うようなことを高段者の先生方が
おっしゃいます。

 なぜこの場所が重要なのでしょう。日本舞踊から歌舞伎や能、お祭りの
踊りに至るまで日本古来の動きの中では重心が急激に上下することは
あまりありません。その多くの動作が膝を軽く曲げて、体をそのまま前に
出すように体重移動をします。やや腰を落とした体勢を維持させるためです。
 これをいわゆる「腰が据っている」状態といいますが、体の重心、
つまり力が丹田に「落ちている」ということです。

 動きの早い格闘技も、また、ゆっくりした動きの気功法などでも
立って動作を行う場合は、体のバランスの中心を意識する事によって
余分な力を抜いて、体の軸を安定させることが重要だと言われています。
 黙って立って行うのは、慣れればあまり難しくないのですが
素早く動きながら、この腰の入ったバランスを保ち続けるのは難しい
ところです。(一流や天才と言われるスポーツ選手は、意識せずとも
知らない間にこれが出来ているそうです。)

 では、腰を入れるというのはどういうことでしょう。それは、腰を
後ろにそらして胸を張った姿勢ではなく、肩の力を抜いて横隔膜を押し下げ、
下っ腹をぐっと出す事なのです。腹圧を上げることによって腰や背中の
筋肉にあまり力をいれずとも重心を安定させることが出来るのです。

 また、そのためには腹式呼吸をしなければなりませんので、肩に力が
入って上体がぶれることがありません。肩に力が入っていなければ
例えば驚いたりしても、動きが硬くならないということです。

 ですから、何事にも動じない人を「腹の据わった人」と呼ぶのです。

第66回 とび級

 ある生徒が昇段(昇級)審査後に憮然として、審査員をしていた
私のところに来ました。

「先生、教えていただきたいことがあるんですが。」
「うん、なに?」
「先生、なぜ私は飛び級できなかったのですか?」
「・・・?」

 西オーストラリアの段以下、級の部は6級から1級までですが、
2級以下は技能優秀である者は一階級のみ飛び級が認められています。
例えば6級を受審しても6級の基本的な動作ができて、さらに5級の
審査基準を満たす技量があれると判断されれば、5級になることが出来ます。

 しかし、正直な所、そんなにレベルの差はありません。
各審査項目の基準を十分に満たし、さらに力まずに動作が正確で、
気合がよい生徒は飛び級しますが、だからと言って、そのまま次が受かる訳
でもありませんし、他の人より強いとか偉いということもありません。

 ところが、この生徒は、他の生徒が飛び級したのに、自分が飛び級
しなかったのが不満だったわけです。

「不満なの?」
「いえ、でも何が悪かったのか教えて頂ければ...。」
「それは落ちた人が言う事だよ。あなた受かったんでしょ」
「でも、どうして飛び級できなかったのかと...」

 ここで、小生はハッキリ言うことにしました。

「それは、どうして他の人より私の方がうまいのに飛び級できなかったと
聞いているんですか?」
「...。」
 私は続けました。
「気持ちはわかるけれど、まずは受かった事を良しとすべきだと思うよ。
今回は飛び級した他の人が、稽古に熱心に出ていて審査でそれが上手にできた、
それだけ。他の人と比べるよりも、まずは自分の稽古を一所懸命行うことが
大切なんじゃないの」

 すると、その生徒は顔を赤くしながら恥ずかしそうに苦笑いをして、
お辞儀をして去って行きました。いつも一所懸命にがんばっている生徒なので、
きっと私の言いたいところがわかってくれたんじゃないかと思います。 

 剣道でも何でもそうですが、学び始めて一時期急に上達する時があります。
でも、それは過程の段階の一つに過ぎないのです。子供たちにも、己を
過信せずに日々精進に励んで貰いたいと思います。

第65回 猫の妙術 其の2

(前回からのつづき)

 猫は続けた。

「武士たる者は常に心を養い、修行しなければなりません。ですから、
まずは生と死を理解し、疑わず惑わず、頭の良さや才能に頼ることなく、
心気和平、静かに安らかで平常心であれば、変化に応じることは自由自在
となります。でも、皆これが出来ず、やがて、わがままから争いが起こる
のです。

 人はあるところに意識を集中しすぎると、他に隙が出来ます。すると益々
意識をしすぎるようになるのです。私がいうところの無心、無物とは、
蓄えず拠らず、敵もなければ我もなく、いわゆる「思うことなく、なすこと
なく、ひっそりと動かず、天下のことに感じてついに通ず」で、この理
(ことわり)を極めることです。」

 そこで勝軒は、再び質問した。
「敵もなく、我もなくとは・・・・」

 すると、古猫は言いました。
「自分があるがゆえに、敵があるのです。自分がなければ敵もいません。
争う事もありません。敵を破っていても、自分でもそれを知らない。いえ、
知らないのではなく、そこに心がなく、感じるままに動いている、ということ
でありましょう。また、すべては自分の心から苦楽・得失が生じるのです。
 
 私のいうことは、ここまでです。あとはただ、自分で考えることです。
師は導くだけです。その真理を得るのは、自分自身です。これを「自得
(じとく)」あるいは「以心伝心」ともいいます。人の心のあり方から芸術の
道まで、自得のところはすべて以心伝心です。

 教えるというのは、自分で見えないところや、気づかないところを、知ら
せることです。決して何かを師から授かることではありません。教えるのも
易しく、それを聞くのも易しい。ただし、自分の中にあるものを確実に見つけ、
自分のものとするのは難しい。

 これを修行上の一眼目(いちがんもく)といいます。悟りとは、妄想の夢の
さめたもので、覚(さとる)ということとも同じであり、格別変わったこと
ではないのです。」


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 以上が、猫の妙術です。すごい話ですね...。簡単に要約しても大分長く
なりました。

 最初は先生の言うところに従い、後は自分で考え
思うところを一生懸命練習して自分なりのコツを見つける。
 また、道を間違えたら、指し示してくれるのが師であり
それを実践するのは自分である。その通りですね。

 さて、これは講和ですから、まず知識は知識として難しい事はあまり
考え込まずに、まず最初は剣道を楽しんで下さい。

 やっぱり剣道は、まず楽しんで稽古することから始まります。

第64回 猫の妙術 其の1

 「猫の妙術」という有名な剣の話があります。
結構長い話なので要約して、2回にわたってご紹介します。


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 勝軒という剣術者がネズミ捕りの名人の猫を借りてきた。よぼよぼの
年老いた猫なのに、この猫が、どんな猫でも捕まえられなかった恐ろしく
強く大きなネズミにゆっくり近づくと、ネズミは黙ったまま動きを
止めてしまい、そこを古猫がのそのそとつかまえてしまった。

 その夜、勝軒は夜中に多く猫が集まって、その古猫に質問をしているの
を聞いた。一匹の黒猫が
「私の家系はネズミを取るのが上手な家系で、また私も早くネズミが捕れる
ように厳しい修行をしてきました。でも、どうして失敗したのでしょうか。」
 
 それを聞いて、古猫は口を開いた。
「ああ、あなたの修行は、ただ早くネズミを捕まえようとする技術だけです。」

 次に、虎毛の大猫が言った。
「私は、まずは気合でネズミを威圧し、そこで勝った後でネズミを捕まえます。
だから、相手の動きにも自然に体が反応して、飛びかかることが出来ます。
でも今日は失敗しました。なぜでしょう」

 すると古猫が言うには

「あなたは自らの気力だけに頼っています。それはただの勢いです。決して
己だけが強く、敵はみな弱いというものではないのです。」

 次に灰色の少し年を経た猫が静かに前へ進みでて質問した。

「私は長く心を鍛練して、闘気を相手に見せず戦えます。ところが今日の鼠は、
勢いにも屈せず、和にも応じませでした。」

 灰色の老猫の話しに、古猫は答えた言った。

「あなたの和は自然の和ではなく、意識して作った和です。その時点で既に
自然ではなく、だから相手は気がつくのです。」

 古猫は続けた。

「気と理は一体です。また動きの中に理がある事もあります。無心でおおらか
なるときは、すべて自由自在です。ただし、私のいうことが究極の方法では
ありません。

 昔、私の故郷に猫がいました。木で作った猫のようで、終日、ボーっとして
眠っているだけでした。誰も、その猫がネズミをとるのをみたことがありません
でした。しかし同時に、その近辺にネズミの姿を見ることはありませんでした。

 そこで、私はその猫のところへ行き、その理由をたずねました。しかし猫は
答えず、四回聞いても返事がなかったのです。これは答えなかったのではなく、
答える理由がなかったからです。

 それでわかったことは、真に知るものは言わず、言うものは真を知らない
ものだ、ということです。その猫は己を忘れ、ものを忘れて無物に帰して
神か仏のようでした。私はその足元にも及びません。」

 古猫のこの話を、勝軒は夢のごとく聞き入っていたが、
やがて、今度は勝軒が古猫の前に出て聞いた。

「私は剣術の修行をはじめて久しいが、いまだその道を極めることができない
でいる。これはなぜだ。」

 すると古猫曰く、

「いえ、私は動物です。人間の事は判りません。しかしながら、私がひそかに
聞いたことがあります。”剣術は、人に勝つためにだけではない。何かが
起こった時に、生死を明らかにする術なり”と。」

(次回に続く)