第63回 回り道の青春

 今は剣道に夢中に取り組んでいる私も。実は剣道一筋ではありませんでした。
紆余曲折(うよきょくせつ)があって剣道を再開したリバイバル剣士、
いわゆる「リバ剣」というやつです

 子供の頃から学校の剣道部と道場の稽古で、結局はほぼ毎日稽古があり
竹刀を握らない日はありませんでした。
 そんな私も、大学に入って、ひょんな事から弓道を始めてしまいました。
弓道をやってる友達に「そんなの面白いのか?」と冗談で言ったら
「やった事もないのに言うな。だったらやってみろ」と言われて意地になって、
まさしく売り言葉に買い言葉がきっかけでした。

 そんなことで、丁度ティーンエイジャーの最後の反抗期もあって、
父親とは違う世界も見てみたい、今までとはまったく違うことをしてみたい
という気持ちもあったのでしょうか。それから4年間は弓道8割、剣道2割くらいの
感じで稽古をしていました。弓は結局3段まで取りましたが、剣道の技術は
大きく遅れてしまいました。しかし、今思えばとてもいい経験だったち思います。

 手の内をしめるという感覚の似ている事や、間接の位置、ひかがみの話、
下っ腹の話、バランスの話など、剣道の参考になることがたくさんありました。
逆に、剣道を再開して今になって理解できた弓道の事もあるくらいです。
武道の奥深さを感じます。

 しかし、就職、留学などして、再び剣道もあまりできないまま、再就職後は
剣道をまた再開したいと毎日素振りだけは続けながら、地元を離れ、また仕事と
稽古の時間が会わず、残業もバリバリに増え始め、せめてもの運動は女友達に
つれていかれたエアロビ。それが上手くできなかったのが悔しくて、また2年
くらい通ってしまいました。
 
 で、同時に友人の紹介で出会った、その友人になった男が空手の先生で
「いやー君は空手やったほうがいいよ。絶対剣道の参考になるから。」
ということで、そこから空手をはじめ、結局3年くらいやりました。実に
面白かったですねえ。

 剣道は竹刀1本、多くても2本ですが、空手はいろんなところから手足が
4本飛んでくるのが最初は驚きました。もちろん、全部が同時に来る事は
ないですけど、対応できるまでに少し時間かかりました。
 初めての先生との組み手で、受けて反撃しようとしたら、下から出たはずの
相手の足がイキナリ角度を変えて側頭部に回し蹴りが来た時の、ひやっとした
感じは今でも忘れません。

 組み手では薄いグローブのようなサポーターをつけて、寸止め
という約束が普通なんですが、先生曰く
「こぶしが当って少し体にめり込んでから寸止め」
という稽古で、一度先生との組み手で、完全に顎にかするようにカクっと
パンチが入ってしまって、笑いながら気絶したことがありました。
 アゴを横から叩かれて脳みそが揺さぶられたというアレです。意識はあっても
腰が抜けて全く立てない、ボクシングの試合でたまにある光景です。

「おい、大丈夫か」
と友人たちが皆心配して駆け寄る中、先生は
「うーん。オレ、今日は調子いいな~」
と一人満足気にニヤニヤしていました。(笑)
 専用の防具をつけて、フルコンタクトでやったこともありました。手加減
してもらっても痛かったです。で、そのまま終わって傷だらけの体で皆で
酒を飲みにいく。何度か病院にも通いましたけど。本当に楽しい思い出です。

 ほかの武道も、突き詰めればとても奥深く面白いと思います。
今でも空手、弓道、両方好きです。日本に帰って時間があれば、
昔を思い出して的の前に立つこともあります。空手の友人と武道話に
花を咲かせることもあります。柔道も見るのも好きです。

 でも、私は今は剣道が楽しいですね。剣道が一番好きです。
剣道の難しさや稽古の後のビールのうまさもさることながら、剣を通じて
得られた多くの友人や先生方、子供たち、そしてそれを支えて下さる
保護者の皆さんや多くの方々との出会いがあるからなのだと思います。

第62回 癖と努力

 無くて七癖と言われるくらい、誰でも癖があります。剣道でも、握り方の癖、
攻め方の癖、動き方の癖、気合の癖、良くも悪くも、無意識のうちに自然と
やってしまう癖は誰でもあります。

 癖には良い癖と悪い癖があります。良い癖とは、その行動の延長が良い
結果を生み出す、いわば「長所」です。相手に対するアプローチや動き方
など基本にのっとっていながらも、それが誰にもまねできない独自のもので
あれば、それはその人の「個性」です。

 剣道は速い動きだけでは相手に勝つことはできませんが、動きに対する
反応の速度は、できれば速いにこしたことはありません。例えば。相手が
自分の面を打つのを受けたら、同時に胴に打ち返す技(返し胴という技です)
を繰り返し行って自然に素早く体が動くように技を身に着けるのは、まさに
動作の「癖」をつけていると言えます。

 反対に、良くない結果につながる行動である悪い癖には色々あります。
まず最初に、効率的ではない竹刀の持ち方や足や腕の動かし方など、初心者
の頃についてしまう癖があります。

 これらは、良い動作が分からなければ、良い癖はつけようがありません。
だから、先生方や他の人の稽古をよく見て、まねしてみることです。「学ぶ」
の語源が「まねぶ」、真似をするという意味である、まさにそのとおりです。
 そうしたら、今度は正しい動作を自然に意識できるように復練習して体に
覚えこませます。つまり「良い癖」として感覚を頭と体に覚えこませるのです。
 しかし、当然先生の様にはできません。だから自分で色々考えて、色々な
方法を試してみることです。

 また、無意識に行ってしまう反応や動作がたくさんあります。例えば、
相手に間合いに入られると手元を挙げて受けてしまったり、相対せずに右に
回りこんでしまったり、体が開いてしまったり、竹刀を何度も握り返したり....。
 いつの間にか身についてしまった癖を直すには、大変な努力が必要です。
長い時間がかかることもあります。
 しかし、これらの癖はまず意識をすることで、極力抑えることはできます。
動作の癖は、結局は心から来ています。無意識にしている事でも、結局は
脳が命令しているのですから、根本的には意識を変えなければなりません。
 
 あとはアイデアです。稽古の方法を変えてみる、道具を変えてみる。考え方
を変えてみる。色々な方法があると思います。固定観念にとらわれない柔軟な
考え方も必要です。
 
 しかし、悪い癖を直そうとして、あまりにも動作を限定しすぎると、逆に
良い癖まで無くしてしまうことがありますので、本末転倒にならないように
気をつけなければなりません。あまり細かい部分は気にしすぎず、のびのびと
剣道をしていれば、良い部分が伸びて悪い部分を補ってあまりあるものに
なるかもしれません。そうすれば自然に悪い癖も消えてゆくことが多分にあります。

 ですから、結論として、その癖は子供の頃は指導者が気をつけながら指導
をしてあげる必要がありますが、大人の場合は他人から教えられても直るもの
ではなく、自分で必要があって本気で直そうと強く意識しなければ直らない
ものだと思います。
 
 まあ、少しくらい癖があるくらいの方が、人間は愛嬌があるといいますが
剣道でも剣道以外の事でも、悪い癖はできれば早く直したいものです。当然、
これを一番言い聞かせたいのは自分ですけどね。

第61回 学ぶ姿勢

 子供と稽古をする時に、自分の勉強になる事はたくさんあります。
初心者と稽古をする時もそうです。打たせながら足捌きや距離の練習を
自分で練習したり、打たずに行うことが出来る稽古もあります。
 その時に打たれてみて、
「ああ、この子はこうだからこうなるのか」
と指導する中で気づかされる技術的なこともありますし、子供が無心で
真っ直ぐ振った竹刀に打たれて、思わず自分の稽古を反省する事もあります。

 それから、子供の視点に立って稽古を考える事はとても大切です。
大人には簡単でも子供には難しい事や、またその逆も多くあります。
 注意を払わないと気が付かないことがたくさんあります。それらの
多くの事が、理論だけではなく実践の中でわかる事です。決して本には
書いていない、また誰も教えてくれないことです。

 子供が怖いなあと思うことと大人が怖いと思うことは違います。保護者の
方々と話してみて、
「この子は普段こう考えているのか、こう感じているのか」
と気がつくこともたくさんあります。

 また、子供を打つ時には、当然大人の力で強く打つことは出来ません。
かといって、遅く打つわけにも、当てないわけにもいきません。
 ここで、体の動きはそのままにして「ポクッ」という痛くないのに、
しっかり当っているという打ち方が出来るように心がけています。

 ちなみに、この打ち方はちょっとコツがいります。力で竹刀を振り
まわしては、こういう打ちは絶対にできません。中段者から高段者への
過程で、絶対に覚えなければならない技術なのです。
 筋力がついてくると逆に出来なくなる事があり、まなじっか力が無い
子供が、偶然ながらも、竹刀の重さだけ使ってとてもいい打ち方を
している時もあります。

 さて、ここからは他人の受け売りです。さるテレビ番組の教師の役で
有名になったある俳優さんが、とても良い事を言っていました。

「先生の事を偉いと思ったら、いくらでも先生から勉強できる。先生の
ことをバカだと思ったら、何も勉強できない。子供はその人が
ホームレスでも、偉いと思えば学ぶ。人から学ぼうと思う心構えの人は
あらゆる人から学ぶことが出来る。例えば、あなたの話している人が
偉いと思えるのは、それは、その人が偉いからではなく、
あなたが学ぼうとしているから学ぶことができるんです」

 その通りだと思います。どんな相手からも学ぶ事は出来ます。それは、
すべて自分の心がけ次第ということなのです。

 ですから、まずはそういう気持ちの姿勢を作る、つまりは、常に
そういう考え方が出来るように、心がけなければならない、という
ことなのでしょう。

第60回 武士へのあこがれ

 剣道は元はと言えば刀を遣って戦う練習、剣術の稽古です。ですから、剣道が
好きな人というのは、少なからずとも武士への憧れがあります。その気高く強い
精神に憧れる人もいれば、刀を使って戦う事の強さに憧れる人もいます。

 ごく稀にあまり興味が無いという人もいますが、やはり根底にあるのは武士の
存在ですから、その考え方や動作には少なからずとも影響されているはずです。
 そこには、侍を語る上で、必ず聞かれる「武士道」という言葉があります。

 さて、武士が台頭してきたのが平安後期から鎌倉時代にかけてですが、この
後のいわゆる戦国時代は下克上の時代で、自分の立身出世の為には、親兄弟も
殺すことをいとわない時代でした。剣も「道」ではなく「術」、つまり戦場で
人を倒す技術であり、習うよりは戦場で斬り覚える事の方が多かった時代です。

 そして江戸時代になり、徳川幕府が日本を統一すると職業軍人であった武士に
とって、戦いが終わった後の支配階級として必要であったのは「自制」と「教養」
でした。金や地位を夢見て戦場を暴れまわるのではなく、身分を定めた社会という
規律の中で生活していかなければなりませんでした。

 武士道の根底にあるのは儒教です。儒教は崇拝対象のある宗教ではなく思想
(学問)であり、孔子(紀元前5世紀頃の人)が
「社会は徳によって治めるべきである」
という考えで当時の乱れた身分社会制度の再構築を行う為の思想でした。

 それは「仁義礼智信」を五常として、そこから五倫(父子、君臣、夫婦、
長幼、朋友)の関係を築く事を説くことで行いました。また、中国の漢の時代
には国学にもなりました。

 中国から朝鮮半島を経て日本に伝わった儒教は、元は仏教の僧侶らが学ぶ
たしなみでしたが、やがて学問として独立し、徳川幕府の武士の教育の柱と
なりました。
 時の権力者であった武士階級にとっては、五倫の「上下の秩序をわきまえる」
というのが、封建制度を作り上げるのに丁度良いと、都合のよい解釈をしたのです。

 それがいつの間にか「身を捨てても主家に尽くす。すなわち、武士として
死を恐れない為には、自らを戒め、律し、日常を達観することが美徳である」
という価値観が本流になってゆきました。これが時を経て、明治時代には
新渡戸稲造博士によって「武士道」として海外に紹介される一方、日本国内でも
広く一般に知られるようになったのです。

 しかし、武士が皆そこまで崇高で強く、常に則をもっていたかというと、
決してそうではなく、それは武士にとっても理想とする姿だったと言えます。
 孔子の提案した儒教の考えを漢字一つで表すと「恕」(じょ)と言う字に
表されます。これは人を思いやる気持ちのことです。相手の気持ちになって
行動する事。されて嫌な事は人にしないということです。
 これが相手に対する「礼」と「誠」につながります。

 現代に一番合った武士道の解釈があるとすれば、まず「人」としてどう
あるべきか、そして「人」が作る社会とはどうあるべきか、ということを剣の
修練を通じて学び、考えることです。

 その心の強さと人としての成熟度を求める「武士道」ならば大いに
素晴らしい事だと思います。

第59回 不出世の名人

 19世紀の江戸で最も人気のあった北辰一刀流の開祖である千葉周作が、
若い頃修行に行った中西派一刀流の中西道場の師範の一人に白井亨
(しらいとおる)と言う人がいました。天才剣士と呼ばれた人です。
 現在ではあまり名を知られておりませんが、当時の多くの剣術家が
二百年に一人の名人として語り継いでいました。

 江戸時代末期に九州から武者修行にやって来た、身長2メートルあまりの
大男の剣客、大石進が有名な5尺3寸(約170センチ)の長い竹刀で、
江戸の名だたる剣術家に次々と勝負を挑みました。

 大男が槍のように長い竹刀を遠い距離からスゴイ早さで突きを繰り出して
くるのですから、こんな見た事もない技に勝てるはずがありません。
江戸の名のある剣客がことごとく試合で破れてゆきました。

 その中には、神道無念流の練兵館館長の齋藤弥九郎や、鏡新明智流士学館
館長の桃井春蔵のように
「長い竹刀の技など、本当の刀では使えまい。単に道具に頼った邪道である」
と言って、全く相手にしなかった先生もいました。
 北辰一刀流宗家玄武館館長の千葉周作は
「そんな長い竹刀での試合などくだらん。器械には器械だ」
と、長い竹刀に対抗して、これを馬鹿にするように、樽のふたで巨大な鍔を
作って試合をし、お互いに試合にならずに引き分けたという冗談の様な事も
ありました。(これも相手にしていなかったということですね。)

 その、江戸での試合にことごとく勝ちを得たノリにノッた大石を、たった一人、
普通の試合で打ち破ったのが白井亨でした。江戸で指折りの名剣士であった
千葉周作が、まだ若い頃に中西道場で修業した頃、既に江戸では有名な無敵の
剣士でしたから、年齢もそれほど若くはなかったはずですが彼のおかげで
当時江戸の剣術家の面目を保ち、まさしく江戸の剣術界を救ったのです。

 しかし、白井亨は生まれついての天才ではなく、実は努力の天才だったのです。
 彼は、幼少の頃は体が弱くて、また早くに父を亡くした為、その遺言として
剣術道場に通わされます。
 そこで、体を鍛えるために、毎晩何千回も素振りをします。まだ子供です
から数が分からなくなるので、母親がいっしょに豆を皿に移しながら、素振り
の回数を数えたということです。そして、その成果か、彼はメキメキと腕を
上げていきます。

 ところで、当時は免状といって、今の段位のような制度がありました。切り紙、
目録、仏捨刀、などのいくつもの段階があり、最後は免許皆伝といって、弟子を
取る事を許された腕前と言うことでした。ところが、この段位を取得するのには、
一回につき、今のお金にすると何十万も納めなければなりませんでしたので
貧乏な身分の低い侍にとって、免許を取る事はよほど腕前が良く、先生や藩に
見込まれなければなりませんでした。

 当時の道場には色々な道場があったそうで、多くの道場主はこれを仕事に
している訳ですから、当然、中にはビジネスと割り切っている剣術家もいました。
身分の高い侍の子弟や金持ちには、どんどん免状を出し、身分の低い者には、
教えもせず月謝ばかりをとる。
 はたして、当時の白井の道場主もそうでした。試合でも白井の勝ちには見て
みぬ振りをし、ほかの身分の高い侍や金持ちの子弟には、どんどん免許を与えて
いきました。それでも白井は我慢して稽古を続けました。昔は流派を変えるという
ことはほとんどありませんでしたが、14歳の時に道場主が亡くなったのを機会に、
とうとう白井は道場を飛び出します。

 そして、江戸で名高い中西派一刀流の中西子啓に弟子として暖かく向かえられ、
多くの人にかわいがられてその才能を開花させました。小柄でしたが、毎日重い
木刀を振って鍛えたといいます。また稽古の量も人一倍多かったといいます。

 その後、武者修行で全国をめぐり、再び江戸に戻って最後は自らの流派を
開きました。
 「白井先生の剣からは輪が出る」と言われた位、不思議な負けを知らない
剣であったといいます。最後には打ち合う事より、丹田を練り心気体を
充実させて相手に勝つ方法にたどり着いたといいます。

 彼は色々な藩から剣術指南役として召抱えの話がありましたが、結局一度も
仕官することはありませんでした。それは、年をとっても衰えない剣道を、
ひたすら自ら追い続けた結果で、自分の剣の研究に打ち込むあまりのことの
ことだったそうです。