第55回 昇段審査

 現代の剣道には普段の稽古があり、その技量を試す為に
試合があります。また、総合的な力を判断する為に昇段審査があります。
 球技でも陸上競技でも、試合はありますが、昇段、称号審査というのは
ありません。(スキーなどの様に、指導者となるための資格審査は
あると思いますが。)

 この剣道の昇段審査というのは、もちろん技量も見られるのですが、
心構えと言うか、気合や勢いなども審査の基準になります。

 級、初二段くらいまでは、まず気合です。大きな声で、怖がらずに
丁寧に一本一本に、まっすぐ本気でかかっていくこと。これがやはり
なんといっても大切なところです。

 それ以上になると、姿勢、間合い(距離)呼吸(タイミング)攻め(攻撃力)
正確な技術、確実な有効打突の有無などなど、段位に準じて段々と
要求されるところが難しくなっていきます。

 また、高段者になるとこれらの技術が出来て当然とみなされ、
その上に品格、風格などが要求されえるそうです。昇段審査の実技審査で
品格を求められるというのは、なかなか難しいところです。
わかりやすく言えば「勝てばいいってもんじゃない」ということでしょうか。

 風格は、その人の稽古量が判断されるからでしょうか。ただし、
構えていると風格はあるのに動いたら「?」では、やはりいけないそうで
全ての動作においてということです。しかも、それで強くなければならない。
形がきれいなだけじゃ駄目で、やはり剣道は戦いが基本だということです。

 たとえば先生方はこんな話をされます。
「皆さんは理論に基づいて剣道をしていますか」
「皆さんは剣道の哲学を理解していますか。」
...そんなこと自分じゃわかりません。(涙)

 例えば、ある先生にこんな事を言われたことがあります。
「あなたは技術もある、構えも気合もいい、でも、あなたの打った一本が私の心に響かない。」
「もっと、打たれなさい。人に打たせなさい。そして、かっこよく負けるようになりなさい。」

 こんなアドバイスは聞いた時は、ハイとは返事するものの、本心は
「....?」です。でも、それを心に留めて一生懸命稽古していると、
ある日突然、はっ、と先生の言葉の本当の意味が少し分かるようになるんです。

 たとえ、それがまだ100%完全に出来ていなくても、本当に助言の
意味が分かるようになると言う事が、自分の剣道が次の段階へ向かいつつあることを
示しています。そして、このような先生の言葉があるからこそ、それをテーマに自分の
剣道を磨いて行く励みになるのです。

 高段者は、単に叩き合うのが強いとか、試合で有効な競技的な技を
判断される訳だけではない所に、この道の深みがあると思います。
 剣道の審査とは、そのような考えかたが大いに反映されている様に思います。

 ちなみに剣道八段の合格率は1%だそうです。世界一難しい試験だそうです。

 また段位以外に「称号」というものがあります。錬士、教士、範士があり、
それぞれ六段、七段、八段以上に資格があります。技術以外に指導者、
剣士としての貢献度や知識、人間性を審査されます。これには地域の連盟の推薦や
講習会への出席が必要になります。範士八段が現在の最高段位です。
(昔は九段、十段もありました。)

 範士八段の大抵の先生方は60代以上です。しかし、相手が年寄りなのに、
掛かって行くとこちらは全く何も出来ない。思いっきり体当たりしたら、
普通にはじき返された事もあります。

 やっぱり、剣道は今更ながら恐ろしく奥深いです。

第52回 響く

 今回はあまり剣道とは関係のなさそうな話から始めます。

 皆さんが、最も美しい瞬間を語れと言われたら何を思い浮かべますか?
夕日が沈む時、桜が舞い散る時、雨雲の間から光が差す時、子供が笑った時...。

 人には色々な美意識や「美」に対する考え方があると思います。
たとえば、小生が「美」を一言で表現しなさいと問われれば
静かな全く何もない白い部屋で「パンッ」と手を叩くその瞬間だと答えます。

 広い部屋を何もない世界とすれば、
二つの手の中から生まれたその音のみが、
この世界では唯一絶対の存在であります。
それは、まさしく世界そのもの全てであり
新しい世界の始まりです。

 音は、空間の振動の広がりです。
音が響き渡ると共に、世界が無限に広がっていくのです。
この世界の存在がどんどん増幅して行くのです。

 また、音が増幅すればするほど、
無限に広がり続ける全ての世界の中心が
手の中にさらに凝縮されて、より強い存在となります。

 ここに世界が完結します。

 無限に外側に広がりながら内側に凝縮すると言う
相対的な矛盾とも言えるバランスを孕みながら
それらすべての方向を越えた存在が一体となる
まさに宇宙であると言えます。
外側は内側であり、陰は陽であり、
それらは決して二つの背中合わせのものではなく
お互いに内包しあう関係にあります。

 これが「和」であります。
いわばバランスのとれて完成した、曼荼羅にも似た世界です。

 時々これがギリギリで崩れそうになる。
しかし、崩れそうで崩れない、危うい均衡を保っている。
曼荼羅の和を「静」とすれば、これはまさしく「動」であります。
これらが入れ替わり静かながら永遠に巡る関係を相互に持っています。

 たとえば、弦音(つるね)、獅子おどし、風鈴の音、
警策(きょうさく)の音、ひらりと落ちる紅葉...。
このバランスの一瞬の静寂を破るものと
存在の目に見えないかすかな余韻、
つまり「響き」こそが美であると思います。
芭蕉の「古池や...」という俳句がいかにすばらしいものであるか
あらためて思い知らされるばかりです。

 さて、これが剣道に何の関係があるかというと
美意識をもって稽古に取り組む事はとても大切な事だということです。

 何が良いのか、悪いのか。何を持って美しいとするのか。
骨董や美術品もそうですが、確かに価格は大勢の人が決めます。
しかし、その真の価値は自分で決めるものだとは思いませんか。

 もう、ただ単に美しいと思う、心引かれる。
芸術も剣道も、自分がそれにどのような理想を求めるか。
最終的にはそこに行き着くのではないでしょうか。

 だからこそ、まずは高い理想を求めるために
また、良いものを見極めるために
常に目を養い、心を磨き、
そこに到達するために、体を鍛え
技術を磨いて行かなければならないと思います。

第53回 交剣知愛

 以前ご紹介したこの「交剣知愛」という言葉、
「こうけんちあい」と読みますが、本来は
「剣を交えて愛(おし)むをしる」と読むそうです。

 愛というのは親愛の情、友愛の情です。本当に実力が近くて、
真っ直ぐな剣道をしている相手とは、お互いに一本取っても取られても
「よし、まだまだ!」
という、楽しい気持ちで稽古を続けることが出来ます。

 だから、竹刀(刀)を納める時は稽古をやめるのが
惜しいという惜別の情になります。
 また、いつか剣を交えたい。お互いにそんな気持ちになるのが
剣友だと思います。これこそが「愛む」なのです。

 もちろん、一緒に戦うチームの仲間も同じです。
共に技を磨きあって来た仲間だからこそ、
例えば何が誤解があったとしても、剣を交えれば
きっと分かり合えると思います。

 おそらくですが、もっともっと高段者になれば
剣の実力はほぼ互角ですから、剣に対する考え方や理解、知識
また、その人柄などを認めあうことになるのでしょう。
 いつまでも剣道に対する話が尽きない、そんなことも
剣友ならではだと思います。

 よく「剣キチ」なんて言われる人がいます。読んで字のごとく
「剣道キ○ガイ」の意味なんですが、独りよがりの剣キチではなく、
お互いに熱心に稽古して、認め合う「剣キチ」に出会えるのは楽しいものです。
 まあ、そういう人に限って「俺は剣キチじゃない」と言いますが。(笑)
そこで、チェックリストをつくってみました。

1.  たとえば、友達と話していて
    「何々が3万円もしたんだよ」
という話になったとき、心の中で
(それだったら○○武道具の小手がバーゲンで買えるなあ)
とか、
「30万円」と聞くと
(それなら竹胴で手刺しの防具セットが買えるぜ)
と、すべての買い物を剣道の防具を基準に考えてしまう人。

2. 普段、全然お金を使わないのに
「え?日本製の生地胴が5万?安いっ!」
と言ってポンッと買ってしまったりする人。

3. 長い棒を持つと気持ちが落ち着いて
背筋が伸びて、やや目と腰がすわる人。

4. 話をする時に遠くから見ると、
いつも人差し指を相手に向けているか
両手の人差し指を交差させて話をしている人。
(確実に剣道の話をしています。)

5.  待ち合わせの時に背筋が伸びていて
時々前後に細かく動く人や、電車でつり革につかまらない人。
(立ち方の練習をしています。)

6. いつも左手が竹刀を持つ形になっている人。

7. ドアやガラスに自分の姿が映ると、つい背筋が伸びて右足を前に出し、
自分の立ち姿をチェックしてしまう人。(構えの練習をしています。)

8. 竹や赤樫、黒檀などの材質に関してやたら詳しい人。
(木刀は主に赤樫、高級品は枇杷、イスノキ、椿、黒檀などで
  作られています。)

9.  インターネットの検索サイトやYoutubeなどの動画サイトで、
無意識に剣道で検索してしまったり、ブックマークに
武道具店のホームページの名前がずらりとならんでいて
常にバーゲン情報をチェックしているひと。

 そして、これらの内のいくつかを無意識に行っていて、
一度でも友達に突っ込まれた心当たりがあるのであれば
その人はおそらく「剣キチ」です。

 そして、こんな剣キチとの「交剣知愛」を
普通に受け入れられたら、あなたも立派な剣キチです。

第51回 無酸素運動

 本日は、小生が担任をするパース補習授業校の5年生のクラスに
パース日本人学校の校長先生と先生方をお招きして、
書写の御指導をして頂きました。(山下校長先生は書道の達人です。)

 そのご指導の中で校長先生が突然
「みなさん、書道はスポーツです」
と、おっしゃいました
生徒たちも、あまりの唐突な言葉に
「えーっ?」
と身を乗り出して聞いていました。
すると先生はつづけて、
「筆で書く時には息を止めるように」
とおっしゃいました。

 書道は剣道と同じです。いえ、決してこじつけではなく。

 姿勢正しく、肩の力を抜いて(構え)
筆(竹刀)を真っ直ぐに、息遣い正しく(攻め)
無念無想で、迷い無く一気に一息で(打ち込み)
後までも気を抜かず(残心)

 こうしてみると、全く同じです。
剣豪、宮本武蔵が素晴らしい書画を残しているのは
剣の呼吸を使って書画を描いたからだと言われています。
(だからといって、剣道をする人がみな書道が上手とは言いませんが。)

 何かを集中して一気に行う時には息を止めて行います。
言葉の通り「一息に」行うわけです。

 剣道は7~8割がアネロビクス、つまり無酸素運動で
残りが有酸素運動だそうです。

 これは、攻撃する時は息を吐き
攻撃準備をしている時も、ほとんど息を止めているからです。
では、なぜ息を止めるのでしょう。

 胸を広げて息を吸うと、肩が上がって効率的な動きを妨げる事になります。
また、相手にも動きの調子を読まれてしまう可能性があります。
吸った時は体が動けない時なので、つまり、息を吸うのがバレると
それが相手にとって攻撃のチャンスになるわけですから
すなわち、息を止めるか、分からないように一瞬少しだけ息を吸うのです。

 そして、剣道では息を吐くだけでなく、同時に気合をかけます。
なぜ剣道では声を出すのかと聞かれますが、息を吐くという事も理由の一つです。
しかし、ただ息を吐くだけではだめなのです。
大きな声を出しながら息を吐くことで、腹圧を上げて体を安定させることが
剣道ではとても重要なことなのです。

 剣道だけではなく、空手でもボクシングでも
攻撃時は小さく早く腹に力を入れて息を吐きます。
テニスだってバトミントンだって、球を打つときは息を強く吐きますね。
女子テニスのマリア・シャラポヴァ選手だって、
あんなにスタイルが良くて、本当に見とれてしまうようなカワイイ顔なのに
思いっきり叫んでますからね。

 しかも、運動の種類はサーキットトレーニングに近いです。
緊張状態を持続させながら、常に細かく場所を変え、
強度で瞬発的な動きを繰り返さなくてはなりません。

 この動作を長い間、重い防具を着たまま
無酸素運動の繰り返しを、全力で行うのですからキツイです。
これが剣道の稽古が見た目よりもかなり大変な理由です。

 ちなみに、体脂肪と糖質を燃やすには、酸素が必要なんです。
つまり、理論的には剣道ではあまり痩せない事になります。
ダイエット目的で剣道始める人があまりいないのが理解できます。

第54回 色々な人

いろいろなところで稽古をしていると、いろいろな人に会います。

其の一
 
 ある大人の稽古会でのことです。
普通はまず段位が上の先生や強い人のところに並んで
稽古をつけていただくものです。自分より強いんだから、
叩かれるのはあたりまえ。それでも捨て身で一心に掛かってこそ、
技や心は鍛えられるのです。

 で、ある一人の参加者が先生に稽古をお願いしようと
先生の前に順番に並んでいたのですが、
なぜか自分の番が近づくと、どんどん他の人に譲って、
結局はどの先生とは稽古せず、下の級の仲間と
ちょこちょこっと稽古しておしまい。
 それで稽古が終わると私のところへ来て
「先生、何かアドバイスを下さい!」

.....見てないってば。

其の二

 ある人が少し遅れて稽古に来ました。ゆっくりと着替えてから、
ゆっくりストレッチをして、素振りもやらずに、基本稽古の途中から
面をつけて参加しました。そして、掛かり稽古(連続でどんどん打ちかかっていく稽古)
になると突然、道場の後ろに座って何の許可も無く面を取り
おもむろに見学を始めました。

 それが終わってから地稽古(自由に行う稽古)
が始まったのもつかの間、厳しい先生方が面をつけて並び始めると
そそくさと防具をしまい始めて、挨拶もなしに帰ってしまいました。

.....なぜ?

其の参

 剣道の試合では決められた試合場の枠内で戦います。
場外に出ると反則を取られます。

 ある人が試合稽古の最中、強い相手と当った時の事。
彼は試合が始まって数回竹刀を打ち合わせると、
突然自分から場外に飛び出して、
「あ、足をひねった。もう出来ません。」
と言って試合を放棄してしまいました。
 
 その後は、先生方まで賢明に稽古をしている中
悠然と足を組んで笑いながら見学していました。

.....オマエは一体何をしに来たんだ!?


其の四

 剣道において、竹刀は「刀」という概念があります。
当然、稽古中には刃にあたる部分を手でつかむことはありません。

 で、ある人と稽古の最中のこと。
小生が竹刀をぐっと喉に向けて一歩踏み込んだら、
なんと自分の竹刀から片手を離し、
その手で小生の竹刀を、パッと払いのけたのです。

 小生は思わず、
「あ、こら!お前なに相手の竹刀を手でつかんでるんだ!」
と言うと...泣いてしまいました。

 つらいのは分かるけど....それを乗り越えて勝つのと
楽をして勝つのじゃあ、全然意味が違うんだけどなあ。
もう一息、頑張って欲しいものです.....。

 たとえば合同の講習会が終わっても、審査会が終わっても
会場の都合と時間が許すのであれば、自発的に残って
稽古するような人は、必ずあとで強くなります。

 剣道が好きだから、勝っても負けても他の人と稽古したい。
どんなにその時に試合に勝っても、常に自ずから課題を出して
求めて稽古をしなければ、その先の道は見えてこないでしょう。

 修行とはそういうものだと思います。

第50回 下手の横好き

 剣道は小さい頃から始める人も多いのですが
意外と一念発起して30代や40代から始める方も
たくさんいらっしゃいます。

 今回は桜剣道クラブ通信を読んで頂いている方で
お子さんと一緒に57歳で中学以来、
剣道に再チャレンジ、稽古にされる方がいらっしゃいます。

 とにかく心のそこから楽しんで頂きたいと思います。
段位や経験ももちろんですが、年齢もしかり。
青年、壮年、熟年、それぞれの剣道があるはずです。
とにかく無理をせず、怪我をせずが一番大切なことです。

 さて、ある程度の年齢になって
初めて剣道を始めた方々にとって難しいのは
やはり足裁きと力まないシャープな打ちです。

 生活の中にない動作ですし、
またほかのスポーツともやや違った動きですから、
使い慣れない筋肉をつかいますので
最初のうちはどうしても力が入りがちになってしまいます。

 剣道は武器術です。
武器を使いこなせるようになるには
ある程度の時間が必要になります。

 ただし、竹刀の操作方法をある程度覚えれば
防具や竹刀が衝撃を吸収をしてくれるので
安全に稽古を行うことが出来ます。

 足裁きは若いうちからやればやる程良いのですが
歳をとれば誰でも同じように足腰が弱ってくるので
それに合わせた稽古方法が必要になります。

 初心者の稽古は何歳でも基本的には同じですが、
そこから初級者、中級者に行くにしたがって
年齢に応じた、やや違うプロセスを経なければなりません。
子供うちは、とにかく打ち込んで体で覚えますが、
大人になると理論で補うことができます。

 言い換えれば、小さい子供のうちは数打つ中で
先生に褒められた打ち方に修正しながら続けていく訳です。
しかし、どういうのが良い動作なのかを
先生方の稽古をよく見たり、先生にコツを聞いたり
色々本で読んだり、自分で鏡をみて直したりと
色々な稽古方法を実践することができるということです。

 また、剣道の良いところは、高段者になるとスピードや力を使って
相手をひっぱたくだけでは評価されないという所です。

 相手にチョコチョコと色々なところを
かするように叩かれても動じずに、
「ここぞ」という所を、覚悟を決めて思い切って打ち込み
ポンと一発きれいに決めるほうが
段位の高い剣士からは評価される場合もあるのです。
心の動きを読んで戦っているかどうかの評価です。

 ですから、長く続けていけば、
若い人相手の試合には勝てないかもしれませんが
これを意識して稽古すれば上達すると思います。
相手をただ叩く事ではなく、自分の心を鍛える事を目標にすれば
末永く追い求め、楽しむことがことが出来ると思います。
とは言っても、精神性だけや理屈ばかりじゃ、腕は上達しませんけどね。
腕が上達しなければ楽しくありません。
剣道は理屈を超えた部分もたくさんあるんです。

 中には何年も上達しないという人もたくさんいらっしゃいます。
上達していないのではなく、それがあまり目に見えて現れないだけです。
ちょっと考え方を変えれば、それまでの積み重ねが
突然開花することだって数多くあるのです。

 若輩者ながら小生の考えを言わせて頂くと
やはり、良い指導者や稽古仲間に恵まれるかどうかと、
どこまで自分で創意工夫して稽古に取り組めるかだと思います。

「私は審査もなかなか受からない、ただ下手の横好きで」
と言われる方もいらっしゃいます。

 でも、何歳になっても健康で、ずっと目的を持って
剣道を愛して稽古を継続している事が
実は何よりも一番尊いのではないでしょうか。

 健康で自分の道を追求して行けることは
人生の大きな喜びだと思います。