第41回 山岡鉄舟(2/2)

 しかし、山岡鉄舟は最初から才能にあふれた
天才ではありませんでした。

 身長は188センチ、当時としては
巨人並みに背が高かった彼は
当然ながら大酒のみで大食い。

 若い当時は北辰一刀流を学び、
血気盛んな豪快な荒稽古で力も強く
「鬼の鉄舟」と呼ばれました。

 そして、ある日のこと
中西派一刀流浅利派の宗家である
浅利又七郎義明に試合を挑みます。

 ところが、鉄舟は又七郎の気迫に押されて打ち込めず
構えたままじりじりと押されて
ついに戸口の外に下がって出てしまいます。

 すると、浅利又七郎はそのまま
ぴしゃりと道場の戸を閉めてしまいました。
「お前ごときが勝負を挑むとは10年早い」
ということを身をもって示したのです。

 それがよほど悔しかったのか
それ以来、鉄舟はこの時の事を毎晩夢に見ました。
瞑想すると常に頭によみがえりました。
そこで猛稽古の他に、毎日座禅を組むようになりました。
明治の世になって、侍の時代が終わっても
彼は悩み苦しみながら剣と禅の修行を続けました。

 そして、実にそれから17年後のある日、
ある商人から商売の話を聞いている時に
ふと思うことがあり
禅を組んで瞑想してみると、
鉄舟は又七郎に負けた記憶に
とらわれなくなった事に気がつきます。

 その日、早速又七郎に試合をお願いした所
お互いに構えて剣をあわせてしばらくしたところで、
又七郎はすっと構えを解いて
「良くぞここまで修行された。お見事。」
と褒め、まもなく鉄舟に免許皆伝を与えたそうです。

 そして、この人の人生の最後も強烈で
胃癌に冒されながら、
「これはニコリという病気じゃ」
と激痛を全く顔に出さず、いつも笑っていたといい
臨終の時は、なんと皇居に向かって
正座をしたまま亡くなったそうです。
(死ぬ直前に話をしたのは勝海舟だったそうで
「これから死ぬよ」「そうか、それじゃ成仏してくれ」
と言うような会話を普通にしたことが記録されています。)

 剣客、書家、禅導師、国士、官僚として評価のある人ですが、
私が思うに、彼の最も偉大なところは、死ぬ瞬間まで、
「武士道とは何か、武徳とは何か」
を、いつまでも変わらぬ青年のような
純粋な気持ちで追い求めたところであると思います。

 そして、この人は、一生を通じて
一度も人を斬ったことが無かったそうです。
まさに幕末の「巨人」です。

第40回 山岡鉄舟(1/2)

 以前、手ぬぐいに書かれている言葉で
「一源三流」という言葉があると紹介しました。

「一源三流」(いちげんさんりゅう:
       人は3つ流すものがある
       友のために涙を流せ。
       親のために汗を流して働け。
       国のために血を流して戦え。)

 これは幕末から明治に実在した
山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)の言葉です。
この人は剣、禅、書の達人で
厳しい修行の末に自分の流派を開いた人です。

 幕末、京都の鳥羽伏見の戦いの後、
幕府軍は官軍(薩摩、長州、土佐藩)
に押され、現在の静岡まで追撃してきました。

 将軍、徳川慶喜は朝廷に恭順の意を示すべく
江戸城を出て、上野の寛永寺に引きこもります。
ところが、多くの幕臣は依然として
江戸を火の海にしても
官軍に抵抗する構えを見せます。

 将軍の悩みを聞いた幕臣の鉄舟は、
供を一人連れただけで敵の真っ只中に乗り込み
敵方の参謀であった西郷隆盛と面会をして
将軍が朝廷に逆らうつもりは無く
人々の平和を願っている旨を滔々と述べました。

 それに心を打たれた西郷は考えを変え
勝海舟と会見の上、ついに江戸城の無血開城がなされました。
江戸が戦火に焼かれることが無くなったのです。
西郷をして
「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困る」
と言わしめた、その時の鉄舟の勇気と誠意は
大いに賞賛されました。

 山岡鉄舟は維新後に
将軍の座を追われた徳川家を追って
静岡に移り、県の要職を務めました。

 そして、その人柄によって
旧敵の西郷隆盛から推薦を受けて
10年だけの約束で天皇の侍従としてお仕えし、
明治天皇の教育に携わりました。

 そして、その後は新政府の仕事をしながら
戦士した幕臣の名誉回復の為にも
奔走したといいいます。

 この「一源三流」とはまさにこのことです。
自分を捨てて、国のため、友のため、家族の為に
力を尽くせと言うのは、
まさに鉄舟が実践していたことです。

 昔、日本には、この様な人が多くいました。
現在、日本には「この身は滅びでも国と国民の為に」
と思っている人たちがどれくらいいるでしょうか。

 今でも多くの無名の愛国の士はたくさんいると信じます。
しかし、本当に鉄舟を見習って欲しい人は
他にいるとおもいませんか。

第39回 ありがたいこと

 今回の豪州全国大会と講習会で
多くの先生方からご指導を頂きました。
心より御礼申し上げます。

 また多くの友人と再会、交流が出来た事を
心から感謝しています。

 さて、稽古が終わった後で
普通は皆なんと言いますでしょうか?
「ありがとうございます」ですね。
先生に感謝、仲間に感謝です。

 剣道の礼法では稽古後に礼をする時に
「ありがとうございました」
と言わなければならない決まりはありません。
というか、実は正式には言いません。

 しかし、神前や正面への礼以外の時には
大抵「ありがとうざいました」
と口に出して言う人がほとんどです。

 稽古を通して教え導いてもらった人に
「ありがとうございました」と
感謝する事はごく当然の事です。

 この「ありがとう」は漢字で書くと「有難う」です。
あり難し、つまり「めったにあり得無い事」であります。

 思いがけなく人に助けてもらう事は
自分を助けてくれた相手にも、
また、その相手にめぐり合った運命にも
(もしくは神様にも)感謝すべき事です。

 でも、先生が教えてくれるのは立場的には
当然の事と思っている人がいます。
特に生徒からお金をもらっていればそうです。

 しかし、ボランティアの場合に限らず
お金を貰っている場合でも
指導する側としてはやはり皆上手になって欲しいと思います。
必要以上の見返りなどは期待していません。

 実は、今は色々な情報源がありますから、
逆に言えば、本当に基礎の一般的な事は
自分で調べればある程度であれば準備できるのです。

 生身の先生の代わりにDVDを見ながら
覚える事だって出来なくはありません。
また、そのDVDの先生のまねをして指導すれば
大して経験の無い人にだって
少しくらいなら他人を指導する事はできるのです。

 しかし、本当に助けを必要としている人には
人としての援助が必要なのです。

 だから、指導者と呼ばれる人は、
自分が時間をかけて命を削るような努力をして得た
技術と知識を惜しげもなく教えるのです。
まさに、自分の財産を分けてあげることと同じです。
それは当たり前のことではありません。

 大人であれば努力している人だからこそ、
その人が将来さらに多くの人たちを
助ける事が出来るようになってほしいと
言う願いと希望があるからこそ、教え導いてあげるのです。

 剣道をやりたいと決めた子供であれば
例え大人になって続ける機会が無くなっても
剣道の通じて学んだ事を将来立派な大人になるのに
役に立てて欲しいと思いながら、教え導いてあげるのです。

 そして、これは剣道だけの事ではありません。
子供たちが、もしくは皆さんが色々教わってきた中で
本当に親身になって、時には厳しく指導して下さった先生方は
皆このように思っているはずです。

「お金を貰ってもそんな面倒くさい事はしたくない」
「お金を貰えれば、あとは適当にあしらっておこう」
「一銭にもならないのに協力するのは面倒くさい」

 という人が多い中で、こんな先生方やお手伝いして
下さる方々にめぐり合えるのは
まず滅多にあり得ないことだと思います。

 だから、いつも「有難う」という気持ちを
忘れずにいたいと思います。

Read more »