第25回 手ぬぐいの言葉

 剣道の手ぬぐいに書かれている文字で
他にもよく好まれる言葉を一部紹介します。

努力系

「百錬自得」(ひゃくれんじとく:死ぬほど練習すれば出来るようになる。)
「至誠通天」(しせいつうてん:頑張ってまじめにやればきっと願いは天に届く。)
「水滴穿石」(すいてきがせき:水滴がいつか石に穴をあけるように
       少しずつでも毎日やれ。)


禅や心の修業系

「行住坐臥」(ぎょうじゅうざが:歩く止まる座る寝る、生活全て修行。)
「剣心一如」(けんしんいちにょ:正しい剣の修行で正しい心を得る。)
「剣禅一致」(けんぜんいっち:生も死もすべてを超えるのは剣も禅も同じ。)
「無念無想」(むねんむそう:よけいなことを考えずにやれ。)

世直し系

「剣徳正世」(けんとくせいせ:剣の徳である正義、廉恥、勇武
       礼節、謙譲は世を正す。)
「一源三流」(いちげんさんりゅう:
       人は3つ流すものがある
       友のために涙を流せ。
       親のために汗を流して働け。
       国のために血を流して戦え。)
「破邪顕正」(はじゃけんせい:悪を倒し正義を貫け。)

剣の教え系

「気剣体一致」(きけんたいいっち:
        強い心「気」と優れた技「剣」と
        強い「体」を得られるよう修行せよ。)
「守破離」  (しゅはり:
        まずは教えを「守」って修行し、
        次に自ら研鑽して基本の限界を「破」って教えを超え、
        最後は自分の境地を見つけて独立して「離」れよ。)
「三殺法」  (さんさっぽう:相手の剣を殺し、技を殺し、気を殺せ)


心がまえ系

「明鏡止水」(めいきょうしすい:
       曇りなき鏡や波のない水の様に穏やかで晴れた心で戦え。
       おのずと相手の心がそこに映って動きがわかるようになる。)
「不動心」 (ふどうしん:心を動かすな。びびるな。あせるな。キレるな。戸惑うな。)

友達系

「交剣知愛」(こうけんちあい:一度剣を交えた相手は、同じ道を志す仲間である事を知る。)


 これはほんの一部です。子供には「文武両道」なども良いと思います。
他にもいろいろあるので、調べてみて下さい。

 私の好きな言葉は「和而不流」(和して流れず)「挑戦」「至誠通天」
「為すべきは人にあり、成るべきは天にあり」です。

 そして、私が今現在、自分自身の
剣道のテーマとしているのは「不退不転」です。
剣も人生も、退かず避けず真っ直ぐ突き進んで
...行けるようになるのでしょうか。

 あまりにもテーマが大きすぎて、
既に後ろにのけぞっています。(笑)


追記

 ちなみに「不退転」(ふたいてん)という言葉は
少し意味が違い、元々は禅などで使う言葉で
「退転」と言うのが修行を止めてしまう事
すなわち「不退転」とは仏道を二度と外れない、
存在が修行そのものになる位
または得た功徳を失わない位という意味です。
それが転じて固い決意で立ち向かうとして
使われています。

第24回 流汗悟道

 前回の最後に書いた「流汗悟道」という言葉は
とても良い言葉だと思います。

 汗を流して道を悟る、つまり一所懸命に稽古をして
剣道で何を得ることが出来るかを理解するということです。

 逆に言えば、口先じゃ剣道は出来ませんよ、ということです。
もちろん理論は大事ですが、
とにかく理屈ではなくて
まずは正しく覚えた事をひたすら修練することで
見えるものが必ずあると思います。

 剣豪宮本武蔵は「千日の稽古を鍛と言ひ、万日の稽古を錬と言ふ」
と言いました。「千鍛万錬」とはこのことです。
千日は3年、万日は30年です。
剣道は30年やっても「未だ道遠し」なのです。

 剣道の教えにはこのような四字熟語や。
またそれ以外にも多くの言葉があります。
これらは一体何処にあるのかと言うと
剣道の面をつける時に頭に巻く手ぬぐいに
よく書いてあります。

 二字の言葉で「努力」「初心」「忍耐」「勇気」などは
子供でも分かりやすく良い言葉だと思います。
他にも「武道」「残心」「気合」「闘魂」などがあります。

 この中で、剣道を知らない人にとって
なじみが薄い言葉と言えば「残心」でしょう。

 「残心」とは剣道や弓道などで使われる用語です。
(弓道では残身と書きます)

 もちろん「尚武」「克己」「武徳」など
大人向けの言葉もあります。。

「尚武」(しょうぶ)とは武を尊び重んじる事。
「克己」(こっき)自制する事、自分の欲望に打ち勝つ事。
「武徳」 武術を稽古を通して、徳を身に着ける。

 ちなみに徳とは

仁(他を思いやる心)
義(約束を守り正義を貫く心)
礼(相手を尊重し、全てに感謝する心)
智(考え学ぶ心)
信(仲間を信頼する、信じる心))

であり、人と争わず、争いを治め、社会を治め、
人を安心させ、民衆を幸せにする事です。
武だけでも知恵だけでもだめだということです。

 普段稽古をしている道場の手ぬぐいには「挑戦」
と言う文字が入っています。

 お世話になった偉い先生から頂いたお言葉です。
これがクラブのモットーになっています。
私も好きな言葉です。

「覚悟」と言う言葉も良いですね。
「覚悟を決めろ」など「自分の最後を知って堂々と開き直れ」と
いう様に使うことが殆どですが
どう死ぬか、とはどう生きるかと言うことです。

 ですから、実は覚え悟るのは「最後」ではなく
「自分の生き方」なんでしょうね。
自分がどう生きるか、生きるべきかを知っている人が
一番強い人なのだと思います。

 次回も少し、手ぬぐいの言葉について話をご紹介します。

第23回 右手右足(2)

 さて、剣道では左は引き手、右は押し手と言われるように
一部、左右の腕がてこの原理を使って
竹刀のスピードを増す様に動作をします。
(ただし、左手を完全に手前に引っ張ってしまうのは間違いですが。)

 いわゆる右利きと呼ばれる人の場合
左手は直線的で強い動作を行うのが上手な手で
右手は細かい操作が出来る様にコントロールされている手です。
剣道は左手で打てと言われるのは、
直線的なパワーとスピードを左手が生み出すからです。

 また左手に力をかけて体全体のバランスを保とうとすれば
自然に右足が前になります。
右利きの人が右手でパンチを出すには
左足を前にして構えた方が楽なのと同じです。

 剣道では、その昔、古流の剣術で
騎馬刀法がある流派の出身の先生は
左右片手に持ち替えて竹刀を振るう事もあったそうですが、
(片手は馬の手綱を握るため)
現在は二刀流の正二刀の構えの場合を除いて
一般的には右の片手だけで剣を振ることはありません。
刀は重いから長時間片手だけで戦うことは出来ない
と言うのが理由だと聞いたことがあります。

 しかし、現代の剣道では、
実際には上段からの左手での片手打ちや
中段からの片手突きなど、
左手の強さとリーチを利用した
打ち方もあるのです。

 そして、「実は左利き」という選手も大勢います。
私も習った事は全て右利きですが、
習っていない事はなぜか左利きです。
要はコツをいかに早くつかむかと、その反復練習です。

 左利きの子供にも、右利きの子供にも
同じように前向きに頑張って欲しいと思います。
流汗悟道、汗を流して稽古すれば、
必ずそれは身につくのです。

第22回 右手右足(1)

 剣道では竹刀を持つ時、必ず右手が前で左手が手前に来ます。
これは右利き、左利きにかかわらず、皆同じ持ち方をします。
これは単にお侍さんの時代の「刀を左腰に差す」という決まりからです。
左腰に差すのは右手で刀を使うからです。

 当時は右利きが多数派であった様で、
では当時の左ききの人はどうしたかというと
当然、子供の頃から厳しくしつけられて右利きにさせられたのです。

 戦国時代は大勢で軍隊として戦いました。
右利きと左利きが隣同士で並んで刀を抜くと、
ぶつかって危ない、という理由がまず一つです。

 そして、それをきっかけに右手で刀を扱う事から派生する
様々な習慣が生まれました。

 例えば左側通行は武士の為の習慣です。
すれ違うときに刀の鞘がぶつからない為の配慮がありました。

 相手の鞘に自分の鞘をぶつけるのは
相手の鞘に傷がつくため、とても失礼な行為とされていました。
(右側通行ではなかったかという説もありますが
少なくとも江戸時代後期には左側通行だったことが当時の記録から分かります。)

 それから他人を左側に立たせないという配慮もありました。
なぜかといういと、この位置(特に左後)から襲われた時には
左腰に差した刀を一度抜ききらねばならず
対応に時間がかかった為、
相手から抜き打ちにされたらひとたまりも無い
という命に関わる習慣でした。
その為、相手の左後ろ側に並んで立つのは無礼とされていました。

 また、自分より身分の高い人に道を譲るときは、
相手に対して敵対の意思がないことを示すため
相手の左側(自分から見て右側)にならない位置、
つまり左に寄って体を開いて頭を下げたそうです。

 戦国時代が終わって、平和な時代が訪れると、
社会的な身分として定められた武士の生活において
それまで重要な意味を持った
武家社会での多くの習慣や様式が
格式として形骸化しました。

 だから、「こういう習慣があるから右利きにしなさい」と言うのは
実のところは本末転倒なのですが、
規則というのは個人の違いは残念ながら考慮されません。
剣道においても様式はとても大切なものの一つなので
同じように動作を学んでいって欲しいと思います。

(つづく)