第220号 「ボイトレ初体験」

 先日、生まれて初めてボイストレーニングを受けました。いや、別に歌手になりたい訳ではないんですが、やはりなんでも経験ですからね。時間を作って知り合いの先生にお願いすることになりました。

 ボイストレーニングの基礎は、正しい体の使い方を覚えることです。ストレッチをしたりしながら、正しい姿勢を作ったあとで、腹式呼吸の練習をします。 武道では腹式呼吸を使います。剣道でかける気合は、丹田から出す声の響きに本質がありますから、似ているところもあるだろうな、なんて軽い気持ちでやってみたら、これが全然違う。確かに、姿勢に関しては、同じ所も沢山ありました。首の後ろを延ばす、腕や肩や膝の力を抜く、丹田を膨らませるイメージをする、鳩尾を張る、等々。しかし、腹式呼吸を行いながら、喉を開いて声を出すのが思うより難しい。無意識に剣道でやっているはずなのに難しい。

先生:「腹式呼吸をしてみましょう」
私: すぅーっ。はーっ。
先生:「あの、癖だと思うんですけど、両脚は肩幅で…」

首筋を伸ばすと同時に、いつの間にか右足を前にしながら剣道の中段に構えていた私。(笑)

先生:「じゃ声をだしてみましょう」
私:「アー」
先生:「あ、膝はちょっと曲げてもいいかも…」

鳩尾を張ると同時に、いつの間にか弓道の胴づくり(足を開いてひかがみを張り、尾てい骨を固定するような立ち方)をしていた私。(笑)

(あーあ、案の定、俺って武道バカだなあ。)なんて思いながら、がんばって言われたとおりに声を出そうとするも、思ったよりずっと難しい。プロってすごいなあと感心しつつ、あっという間に終わったレッスンでした。体の使い方やバランス、立ち方の話など、私も武道の話など紹介しながらも、色々な話を聞けてとても勉強になりました。

 まあ、良く考えれば、逆に歌手全員が剣道の気合が上手かというと、そこはやっぱり違うと思いますから、最初から発声が上手く出来なくてもがっかりする必要もないんですが、いつかもっとうまく声が出せるようになればいいなあなんて思います。

 こう書くと、「じゃ一曲歌って」と言う友人が絶対いるんですが、それは剣道の初心者に、ちょっとみんなの前で模範試合してくれ、と言っているのと同じですので、そのリクエストは却下。でも、剣道の気合がいつのまにか美声になっていたら、こっそり教えて下さい。(笑)

 そして、「あー、あー、あー」と発声練習する怪しい姿で運転しながら、正月の買い出しの為に真夏のフリーウェイを飛ばしつつ、今年もだんだん暮れてゆきます。

 皆様も、どうぞ良いお年を。

第214号「すりすり、すり足」

 日本古来の多くの武道は、すり足という歩み方が基本です。すり足といっても、ずるずると足を引きずって歩く事ではありません。要するに、歩くときに踵を高く上げて大股で歩かない歩き方という事です。

 剣道の技も基本的にはすり足ですが、実は基本的な動作が出来るようになると、今度は後足で蹴って踏み込むときに大きな踏み込む音が出るくらい、相手の間合いに飛び込んで打つように指導されます。しかし、高く上げた足を踏み下ろして大きい音を出すことが目的ではありません。反動で右足が強く着地したときに大きな音が出るくらい、勢いよく飛び込むようにという事です。

 移動のスピードを上げる事は、競技的にはアドバンテージとなりますので、すり足で力強く左足で床を蹴って、右足で踏み込む動作を行う技術の習得は不可欠です。しかし、昔の先生方は、それでもバタバタと脚を上げる剣道をするなとおっしゃったそうです。実際に、あるご高名な先生が、お年を召されてあまり目が見えなくなっていたはずなのに、弟子の試合を遠くから見ていて「なんだ、あいつはまだ足を上げて剣道をしているのか」と、その足さばきの音を聞いておっしゃったそうですが、その試合は全日本選手権だったそうですから、一流の選手でも、やはり先生にとっては弟子の足の使い方が気になったのでしょう。

 江戸時代に隆盛を極めた一刀流中西道場や、そこから独立した千葉周作が作った北辰一刀流玄武館では、炒った豆を床一面に撒いて、その上で木刀で形の稽古を行ったそうです。足を上げて進めば硬い豆を踏んで激痛が走りますから、自然にすり足が身につくという事だったそうです。

 なぜ。そこまですり足にこだわるか、それは体のバランスを常に崩さない様に動く為です。すり足剣術は板張りの道場でしかできないので意味がないと言う昔の流派の方いらっしゃったそうですが、甲冑を着て泥道を進む事を前提としている古い流派でも、重心をいかに安定させるかという所が体の運用のポイントです。

 日本人の体形はもともと重心が低いので、大股で足を上げて歩くより、すり足のように、すっと足を出して小股で歩く方が、重心を安定させながら移動することのできる、自然な動きなのかもしれませんね。

第198号 「あそび」

 あけましておめでとうございます。半年ぶりの桜剣道通信です。新年ということで、昨年あったことなど踏まえて、毎年その年の抱負などを書いているのですが、仕事においてもプライベートにおいても、昨年は変化の多かった年、そして本当に忙しい、次から次へとエネルギーを使わなければならなかった年でした。また、多くの難問や失敗と、同じくらいの成功と喜びがあった年でした。

 新しく再開した事と言えば弓道があります。二十数年ぶりの的前での弓の稽古で、改めて剣道と多くの共通点があることを発見したり、逆に新しい知識や技術の習得の中で驚かされる事もありました。弓道の知識が剣道に役に立ち、剣道の知識が弓道の役に立つということです。

 弓に関しては、初心者と変わらないくらい技術も体力も落ちてしまいました。中年も半ばで、何かを新たに始める、または再開するということは、難しいことでもありますが、同時に新しい発見に満ち溢れた楽しい経験でもあります。このような機会が与えられたことに感謝をします。

 さて、剣道と弓道は、武道の中でも武器術の中に入ります。つまり、まずは道具の使い方を習得しなければなりません。かつて私の空手の先生がおっしゃっていたように、空手は体を鍛錬して武器そのものに変えていかなければならない。それは本当に大変な修行なのですが、逆に武器は使い方さえ覚えれば、非力な者でも大きな力を持つ相手を倒す可能性が大きくなるということです。

 武器や道具を使う上での一番根本になる事、それは、持ち方を覚えることです。昔は剣道でも、一万回面をつけて稽古を積んだ者、つまり三十年近く鍛錬を続けてきた剣士が腕前を聞かれ「やっと竹刀の握り方を覚えたところです」と言ったそうですから、それくらいコツをつかむのは難しいということです。この感覚はなかなか言葉で伝えることは難しく、敢えて言えば「ふわっと持つ」でしょうか。ただし、単に力を抜いて持つのではなく、竹刀を振る時にも打つ時にも、手全体の中でちゃんと手の内の中には支点と力点が作用するように使います。大切なのは道具に対して効率的に、また的確に力を伝えることで、その上、動きの衝撃を吸収しなければなりません。これは弓も全く同じで、この力の入れ具合や手の内の運用が実に難しい。いわゆる「コツ」がいるのです。

 さて、ここでそのための重要なキーワードがあります。それは「あそび」です。最初から握りしめていたのでは、効率的に道具に力を伝えることは出来ません。腕や脚も一緒で、最初から伸びきっているものは、伸ばすことができない。例えば、運転免許の初心者講習で習ったと思いますが、乗用車のハンドルにも、ブレーキにも意図的に少しの「あそび」が作られています。「あそび」がなければ、ちょっと足が触っただけで急に強くブレーキがかかってしまったり、腕のちょっとした細かい全ての動作がタイヤに伝わり、逆に運転しづらくなってしまいます。これらの工学的な「あそび」とは、「意図的に作られた緩み」と言い換えることができます。

 剣道の手の内においては「隙間」と言った方が近いのではないかと思います。「ふわっと持つ」と言うのは柔らかく持ちながら、しかも全体的にあまり隙間を作らずに、包み込むように持つということです。そのことでうまく竹刀のバランスをとる事が出来、また衝撃を吸収することができます。しかし、手の中の道具の作用点(欄外補足参照)を動かす時には、力の掛かる力点の反対側に隙間が必要になります。人間の手は弾力があるので、あくまでも実質的な隙間である必要はありませんが、力学的な隙間と言いましょうか、いわゆる余裕がないと折角の力を効果的に道具に伝えることは出来ません。

 そういった意味では、人生も手の内も同じです。常に無駄に力を入れていては、ここという所で力が発揮できず、最後には息切れしてしまいます。普段は肩の力を抜いて、ほんの少しの「あそび」を作る事が大切なのではないでしょうか。

 どんな時でも、その「あそび」を持って物事に臨み、日々の楽しい努力とやわらかく強い心を持って、ここという時にこそ、最大限の力を発揮出来るようでありたいですね。弛まぬ努力の中にも、体の余裕、心の余裕、大切にしましょう。
では、本年もよろしくお願い申し上げます。



補足...竹刀の作用点(相手を打つ部分・打突部)を素早く強く動かすには、力点(左手)力のみならず、作用点(竹刀の先の部分)にかかる重力や、支点(右手)の動く慣性もうまく利用しなければならないのですが、全体の回転運動が大きくなれば、小さい子供でも大きく竹刀を振れるように、比較的小さい力で打つことは出来ますが、運動軌跡が長くなるので随分動きが遅くなります。それを補う為に、小さな回転半径で力を生み出す為の手の内の中で独立した「てこの原理」を使う必要があります。

第192号「目の付けどころ」

 武道においては、色々な武道で共通した思想哲学以外に、
技術面でも意外に共通する部分があります。たとえば
体の使い方において、体の重心と体重移動に関しては、
共通する部分が多くあります。また、そこに共通
して使われる「丹田」という言葉も、実際に科学的な
用語ではありませんが、大変重要な観念として存在します。

 それは、全ての武道の技術が目指す、筋力や体格だけ
に頼らず、いかに効率的に大きな力を作用させるか
という技術の体得への鍵となる「脱力」にたどり着く為の
大切な要因なのです。

 同じように、剣道と弓道にも、多くの共通点があります。
まったく違う武器でありながら、不思議な事に、基本的には
両方の武道で「肩を落として、腹を充実させて、大きく
鋭く、のびやかに」というアドバイスを受けます。
初心者はここから始まり、そして高段者になると再びここに
戻ります。(おそらく、空手も同じだったと思います。)

 さて、今回は目付けの事についてお話をしたいと思います。
目付けとは視線の事なのですが、剣道における目付け
とは、「遠山の目付け」といって、遠くの山を見ているように
全体を見る様に相手を見る様にという教えがあります。つまり、
簡単に言うと一か所をじっと見つめるのではなく、全体を
ぼーっと見るような眼の使い方です。これは周辺視野を使った
目の使い方で、全体の動きを察知できるという利点があります。

 一方、弓道においても、的を見る時はじっと目に力を込めて
的を見るような事はありません。狙いを的に合わせる時も、
本当に弓と「合わせる」くらいに漠然と見るような眼の使い方が
良いと言われています。一か所をじっと見つめて「当てよう、
当てよう」と思うと、どこか体の余分なところに力が入って
くるからです。

 体の十文字正しく、左右バランスよく矢と体が平行に引かれ、
弓と矢と体が一体化して精神が満ち足りた時には、自然と妻手
(めて:弦を引く右手です。)が弦から離れると言います。
むしろ、的を狙って撃つだけの当てっこのような弓道は慎む
べしという、現在の弓道の哲学を考えれば、技術的にも精神的
にも非常に納得できる事です。

 これは、「ああやって、相手のここを打ちたい」「相手が
こうしたら、どこを打たなければならない」などと、心が
囚われる事があってはならない。気を充実させて気持ちで攻めて、
あとは自然に体が動くように修練すべきという剣道の教えと、
きわめて似ています。

いずれにせよ、相手や的に集中しながらも、一つの事だけに
心を奪われて他が見えなくなるなることが無いようにという
一つの教えは、たとえ修める武道が違っても大切な事であり、
これが更に日常生活でも役に立つようになることは、武道の
教えを日常生活で実践する、あるいは役立てるという、
現代人の大きな目的でもありますから、こういう事を学べる
機会があるのは大変ありがたい事だと思います。

第108号 「試し斬り」

 試し斬りという言葉、大体の方が聞いたことがおありだと思います。
刀の切れ味や、腕前を試す為に、何かを刀で斬ってみることです。

 竹刀も木刀も、所詮は刀の代わりです。ですから、本当に刀を
振る感覚を知りたければ、やはり刀で練習することが必要でしょう。

 居合道という武道があります。木刀や竹刀ではなく、日本刀を使って、
いかに鞘から速く正確に刀を抜き、敵に対して斬る動作ができるか、
という技術を練習するもので、戦後に全日本剣道連盟により諸処の
古い流派の技術を集め、再編成して制定居合と呼ばれる十本の型が
作られました。

 ただし、居合は実際に誰かと相対して稽古をすることはありません。
昔の剣術では、刃引きといって刃を落とした日本刀で形を稽古する
こともありましたが、当然間違えば大怪我か死ぬこともあり、本当に
相手と日本刀で斬り合って稽古する訳にもいかないので、居合は
仮想の敵と戦う一人稽古です。

 さて、これ以外に抜刀術と呼ばれる稽古方法があります。内容は
主に二つ。立居合と呼ばれる、立ったままで行う一人稽古。
(居合は基本的にはまず、座った動作から敵を制する事から始まります。
また、立居合いは旧陸軍学校での刀方を基礎としている流派も多くあります。)
 そして、もうひとつは実際に物を斬る事です。畳表を巻いたもの、
竹、巻き藁などが主なターゲットになります。

 よくテレビなどで、すごい試し斬りの名人の技を見ますよね。
鉄板や吊るした大きい骨付きの肉とか、皆さん本当にすばらしい技術です。
 最近は、抜き打ちでピッチングマシンから飛んでくる野球のボール
どころか、飛んでくるBB弾まで抜き打ちで斬る方が有名ですが、
彼の技術は本当に「神業」です。修練の賜物ですね。

 昔見たことがあるテレビ番組で印象的だったのは、「兜割り」
に挑むと言うものです。昔から多くの剣術の達人が兜割り、つまり、
あの鎧兜の丈夫な鉄兜にどれだけ斬り込めるかを競った技術に
挑戦された方がいらっしゃいます。
 
 もちろん、漫画じゃありませんから、昔だって真っ二つにできた
人はいませんが、話では何寸まで斬り込んだかを競ったと言われています。
 ただし普通、兜はドーム型で、普通に斬り込むと、
まずは刀が折れるか弾き飛ばされるかどちらかですから、これも
人並みではない技術がです。

 これを、斬り手の方は厚重ねの刀で再現していました。この方も
普段から太い何キロもある棒を振って鍛錬をしており、太い竹を
片手でズバズバ斬ってましたから、相当の技術の持ち主です。
時間をかけて準備して本番でも、確かすばらしい結果を残されたと
記憶しています。
 
 さてさて、それでは試し切りをするのが、剣の一番の修練
でしょうか。そう、答えは否です。何しろ、巻き藁は襲ってきません
からね。これは、あくまでも「斬る」という技術で「戦う」
という技術の一部分なのです。

 しかし、今となっては刀を使うことの意義すら薄れてしまう
事も多いので、こういう稽古も悪くはないのではないでしょうか。
 自分の知らない物を完全に否定するのではなく、色々な良い
部分を吸収していくことが、一番大切なことなのだと思います。